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あの味この味 区切り

2018年4月1日

福島鈑金工業株式会社

社員の貢献意欲を芽生えさせ
利益率を上げていく

 

戸川政実代表取締役社長

 

■図面のないオーダー品が特色

 

――まずは事業内容からお聞かせください。

 

佐戸川 現在、当社では部品製造などのモノづくりをされている企業に向けて、品質や安全、環境を改善するための板金製品の製造と取り付け、それに付随した電気制御、省力化装置、集塵・局所排気装置などを提供しています。具体的には、ゴム製品を成形する設備のゴムカスを受けるためのステンレス製の受け皿や、加工中の製品を次の工程に移動させるための製品棚のほか、コンベアや研磨機用の安全カバーなどを手掛けています。

 

ただ、こういった製品を造るだけでしたら同業者はごまんといるのですが、中でも当社が得意としているのが大量生産ではない「図面のないオーダー」になります。「製品がスムーズに流れるように改造したい」「有機溶剤が漂うからどうにかしたい」といった困りごとに対して、現場に直接伺ってその工場に合った一品のオーダー品を図面作成から製作、取り付けに至るまでワンストップで提供したり、修理する。

 

皆さん同じ製品を造っているわけではありませんから設備も多種多様であるため、サイズや形状など、お客様の用途に合わせて製作していきます。こういった図面のない段階から細かいオーダーに対応出来るところは意外と少なく、お陰様でいまは県北地方を中心に、高速道路沿いには北は宮城県の古川市近辺から南は天栄村まで、大手メーカーや町工場など様々なお客様とお取り引きさせて頂いているところです。

 

――日本のモノづくりを支える部品製造業を更に下支える会社ということでしょうか。

 

佐戸川 そうなりますね。皆さん古い設備を毎年きれいにメンテナンスしながらギリギリまで使い倒して頑張っているように、この「改善」の繰り返しが日本のモノづくりの強みなんです。いわば当社はこういった皆さんの「改善」をお手伝いする御用聞きのような存在だと思います。

 

また、社員が定年退職しても設備だけは残るわけですから、逆にお客様の方から「使い方が分からないから教えて欲しい」といった要望もあります。長年にわたりお客様とともに歩んできたことで、たとえ古い設備であってもその使い方やメンテンスなどのノウハウが蓄積されており、それがほかにはない強みになっています。

 

■月次決算を社員すべてに公開する

 

――職務能力に加え、人間的な成長を目指した社員教育にも力を入れているそうですね。

 

佐戸川 我々はモノづくりで終わるのではなく、お客様の困りごとを引き受ける業種ですから、資格取得はもちろん、お客様に寄り添い一緒になって考えて提案が出来る、技術力と人間性の両面を兼ね備えた社員を必要としています。そのため、打ち合わせから金額交渉、実際の製造・取り付けまで、一貫して一人の社員がこなすことが出来る「技術者」の育成に力を入れており、同業者の方から時々「お宅の職人さんは―」と言われることがあるのですが、いつも私は「うちは技術者です」と言うようにしているんです。

 

もちろん一気通貫で仕事をこなすのは社員にとってみれば大変なことです。ただ、お客様にとってみれば最後まで同じ担当だった方が話もしやすいですし、お客様との関係も出来やすい。当社では必ず給料日には1人1冊、本を渡して感想文を書くようにお願いしています。やはり、最低限の教養がないことにはお客様との話も出来ませんからね。また、月1回の研修会を設け、中小企業の成功事例を取り上げたビデオを鑑賞し、そこから自社に何が取り入れられるのかグループディスカッションをするなど、一人ひとりが考えて行動出来る「人としての成長」を目指しているところです。

 

もう一つ、社員教育の取り組みとして行っているのが、月次決算と年次決算を社員すべてに公開していることです。営業だけだったり、モノをつくったりだけですと、その原価が正しいかどうか見えませんよね。当社の場合、社員全員が一つ製品をつくるのにどれぐらいの時間、お金が掛かるのかを意識して金額の交渉をしています。製品をきちんと納めるだけでなく、なおかつ適正な利益の確保までを一つの仕事としてやっているんです。

 

このように月次決算を公開するようになったのは、2008年9月に起きたリーマンショックがきっかけでした。その前年には過去最高の売り上げを記録するなど業績も好調だったのですが、リーマンショックによって一気に仕事がなくなり、4割まで売り上げが落ちてしまったんです。当然、賞与を出せる状況ではなかったのですが、社員の間で「こんなに頑張っているのになぜ出ないのか」と疑心暗鬼が生まれてしまい、理由が分からないまま年を越すわけにはいかなかった。それで、なぜ賞与が出せないのか、実際の数字をもって危機感を共有してもらうため、経理を公開することにしたんですよ。

 

結局、福利厚生や退職金の積み立て、給与がある中で、月の経費がどれぐらいあるか分かると、なまじ、お客様に言われたから金額を下げましたとはいかなくなります。また、お客様と交渉事をする際、実際の数字を知っていると、非常に説得力のある提案が出来るんです。

 

現在も受注に対して個別に原価計算していて、自分がどれぐらい会社に貢献しているのか分かるようにしています。このことで一人ひとり貢献意欲が芽生え、実際に利益率は上がるようになりましたし、更には副次的な効果として、社員から経営に対して「ここがおかしい」という提案を受けるようになって、会社全体の改善にもつながっているんですね。

 

――最後に今後の抱負を。

 

佐戸川 新規開拓というより、まずは既存のお客様のケアを徹底し、その都度、改善や修理の提案を行っていきたい。また、当社は依頼があってから製作する受注型産業なんですが、いずれは自社ブランドを手掛けたいですね。まだ構想段階なんですが、福島鈑金といったらこれだと言われるような製品を開発したいと考えています。(斎藤 翔)

 

■佐戸川政実代表取締役社長略歴

 

昭和39年8月11日、福島市生まれ。福島東高校から東北学院大学経済学部を卒業。東京都の設備工事会社での勤務を経て、平成3年11月に同社に入社した。営業部長、専務取締役などを経て18年に現職に就任。現在、市内で両親と夫人、1男と5人暮らし。趣味は読書とトイレ掃除。公職では中小企業家同友会で福島地区会長を務める。

 

 

■企業 DATA

 

設立:昭和37年9月

 

所在地:福島市森合字道端2-2

 

事業内容:各種板金製品・製缶類の製造、安全・省力化装置の製造、搬送装置の製作施工、空調・換気・排煙・局所廃棄等各種ダウト工事

 

従業員:8人

 

資本金:1,000万円

 

http://www.fuku-ban.co.jp/

 

(財界ふくしま2018年4月号掲載)

 

 


区切り

2018年3月1日

木之本漆器店

暮らしに彩を与える
「生活芸術」作り続ける

 

遠藤久美店主

 

 

■唯一のこだわりは自然なリアリティー

 

──まずは店舗の歴史をお聞かせください。

 

遠藤 創業時期は、実ははっきり分からないんです。(笑)お店の蔵が確実に存在していたのが明治中期ごろなので、そう公称しているんです。というのも漆器作りは農家さんが農業の閑散期にする仕事だったので、正式な記録が残っていないんです。

 

これは私の推測も含まれているのですが、滋賀県に木之本(現・長浜市)という地名があります。その土地を治めていた蒲生氏郷が、会津に転封した際に職人を連れてきた歴史があります。創業者もその職人の一人で、屋号に故郷の地名を使ったのかもしれませんね。先代である父は、そんな代々続く漆器職人で、冠婚葬祭に使われるお膳やお椀など伝統的な会津漆器を作っていました。戦時中は木や漆など素材が手に入りやすかったことから、軍用食器も作っていたそうです。

 

──会津の伝統的な漆器店から、オリジナルの手造り工芸品を手掛けるようになったきっかけは?

 

遠藤 父の病気を機に帰郷して、家業を継ぐことになったんです。当時、私は東京で働いていたのですが、女姉妹の上の2人の姉は嫁いでいて、残るは私だけ。(笑)

 

東京でCMの製作に携わる夢を追い掛けてましたから漆塗りの修業をしたわけでもなく、専門学校で技術を勉強したわけでもありません。邪道と言われるかもしれませんが、この部分は木材や漆でなくてもいいと伝統工芸に対するこだわりがなかったのが、いい方向に作用したのかもしれません。そんな中でいろいろな方に助けを借りながら、確立したガラス細工への蒔絵細工が、お店の商品の特徴になっています。

 

当時は父と仕事をしていた男性の職人さんもいらっしゃいましたが、私の試みに反対するよりも、面白がってくれました。喜多方は商人のマチなので、若い人の挑戦には意外と抵抗はないんです。私が女性だったのも良かったのだと思います。

 

それと会津という土地も大きく影響していると思います。会津は生活基盤が盆地の中で集約されています。遠くに行かなくても使える素材があり、同じリズムで暮らす職人さんや異業種の方に教えを乞えたことも、新しいものに挑戦出来た要因だと思います。商品は、地元素材を手仕事で製作していますが、地元産にこだわったわけではなく、流れでそうなったのです。

 

──国土交通大臣賞を受賞した「桐の粉」の人形はどのような経緯で誕生したんでしょうか?

 

遠藤 夏には蒔絵入りの風鈴などの商品があったんですが、冬の商品がなかったんです。(笑)そんな時、商品を塗ってもらっていた会津坂下の職人さんが赤べこなどの「おっぺし人形」を作っていて、本気でやるならと誘ってくれたんです。おっぺしというのは方言で〝押す〟意味です。その名の通り粘土を木型に押し込んで作るのですが、木型の製作は難しく修正がきかない上、デザインも限られます。ならば私の得意な手びねりでやってしまおうという発想です。

 

素材の粘土はちょうどいいものが見付からず、試行錯誤しました。近所の製麺所さんに相談して、いまのラーメン粉にたどり着きました。桐細工の加工には、木屑が大量に出るのも知っていたので、焦がした木屑を混ぜるなど加工も試しました。初期のころはネズミが持っていってしまい、納品数が足りないなんてこともありました。(笑)いまはハバネロを混ぜて対策しています。

 

独自の粘土をこだわったのは、風合いや色使いに強い思いがあるからです。作品として許せない時は、不自然に見えてしまう時が多いです。感情表現は、喜怒哀楽が入り混じりながら表れますよね。唯一商品こだわっている点は、そんなリアリティーを追求することです。

 

■「自分の仕事に集中する」男性も女性も本質は同じ

 

──店舗2階には桐の粉人形のギャラリー「桐のこ人形館」(写真参照)がありますね。

 

遠藤 以前から経験したことを何か形に出来ないかと思っていたところ、ある方から「4~9歳に遊んでいたことを思い出してみたら」と言われてジオラマ作りをしていたことを思い出したんです。そのぐらいの年齢は周りを気にしないで遊ぶ時期だそうですね。お祭りや学校生活など、私の楽しい思い出を題材に製作しています。半分趣味の部分もありますが、これをやりたいから本業が頑張れるところもあります。世界観にリアリティーを持たせることは、商品と共通しています。作るとまだ新しいアイデアが出てくるんです。場所がなくてどうしようと思っています。(笑)

 

もう一つ理由を挙げるなら、自分が作りたいものを商品としてお客様が買ってくれることの喜びを再発見したことです。震災後に亡くなったペットの人形を作って欲しいという依頼があり、昨年まで取り組んでいたのです。ペットは飼い主さんの思い出の中のものですから再現するのは難しく、精神的に重い仕事でした。ジオラマの世界観を作るのは、心のリラックスタイムだったんです。仕事も癒しもモノ作りですから、私は本当に好きなんですね。

 

──職人さんは全員女性ですね。

 

遠藤 全員女性なのは、意識してでなく自然となんです。私たちの商品は、普段の暮らしに寄り添う「生活芸術」なんだなと、だんだん気付いてきたんです。家族の暮らしを担う女性の感覚を求めてきたから、この体制になったのだと思います。

 

女性が働きやすい環境を模索していますが、答えは見付かりません。私たちの仕事は追求すれば時間は無限大です。また、いい仕事をしなければ報酬ゼロです。その中で家庭も仕事も自分の裁量で出来るように、無休営業にしているんです。

 

私が言うのは「自分の仕事に集中して」だけ。チームで合計100個製作の仕事を、それぞれが100個を目指して向かう。その時に人を気にする暇はないと思います。その意味では、仕事への姿勢は男性も女性も同じだと思うんです。男性の方が過剰に意識し過ぎな部分もあるのかもしれませんよ。(笑)(聞き手・江藤 純)

 

■遠藤久美店主略歴

 

昭和33年2月9日生まれ。喜多方高校から跡見学園女子短期大学生活芸術科を卒業。夢であったCM製作の道を東京で模索するも、23歳の時に父親の体調不良により帰郷。漆器店を継ぐことに。現在、喜多方市内で母(前店主)のコトさんと2人暮らし。趣味は子供のころから続けている野菜作り。子供時代は、作物に名前を付けるほど熱中した。

 

■企業 DATA

 

設立:明治中期

 

所在地:喜多方市字天満前8859

 

事業内容:漆器・ガラス工芸・桐の粉人形など手造り工芸品の販売、桐のこ人形館の運営、蒔絵体験教室

 

従業員:14人

 

http://www.aizu-kinomoto.com/

 

(財界ふくしま2018年3月号掲載)

 

 


区切り

2018年2月1日

株式会社ミツワ

お客様の困りごとを
蓄積した技術で手助けする

 

 

佐藤 茂  代表取締役

 

 

■人柄で信頼を得て業務の輪を広げていく

 

──まずは創業の経緯からお聞かせください。

 

佐藤 私たちの仕事は、室内環境整備や害虫駆除などのビルメンテナンス業の区分に入ります。この事業を始める前は運送業を営んでいました。昭和53年に法改正があり、マンションや公共施設などの施設については、生活用水の貯水槽を設け、定期的な清掃が義務付けられました。それに合わせて私の父である先代が、貯水槽の清掃業務を仲間2人と始めました。社名の「ミツワ」は、父を含めた3人の創業メンバーに因んでいます。

 

いまは定期的な貯水槽の清掃が当たり前ですが、法律の施行後は一般に認知度が低く、お客様も消極的な反応が多数ありました。各自治体も施行後5年ぐらいは、入札もない状態でしたから。そんな中で先代は、県内各地域の管工事業者さんを回り、地道な営業と人柄で信用を得て、徐々に業務を拡大してきました。

 

先代もそうでしたが、私も人が好きです。そういう部分が先駆的な事業でも、私たちを通して認知頂き、ありがたくもお客様と長くお付き合いさせて頂いている要因かもしれません。私はあまり営業らしい営業はしていませんね。話好きではあるので、お客様と雑談が盛り上がり「ところで何しに来たの?」と言われて、最後にちょこっと営業をする感じです。(笑)まずは自分をPRする。焦らずにお客様との関係を作るのが第一だと思いますので、そういう部分は営業担当など社員にも伝えています。

 

──御社の業務内容を改めてお聞かせください。

 

佐藤 貯水槽や給・配管、ダクトなどを洗浄・清掃、検査、メンテナンスを行っています。また側溝の清掃も事業内容ですので、除染作業もお手伝いさせて頂いています。最近では高圧洗浄での外壁を塗り直す前の古い塗装の剥離や、高速道路の路面の洗浄などもやらせて頂いています。

 

ガソリンスタンドなどのオイルタンクも、貯水槽と同様に定期検査が義務付けられたのを契機に始めさせて頂いた事業です。清掃はもとより、タンクの漏洩や残厚などの検査や補修を行っており、また解体や入れ替え、配管工事も行っています。清掃で出た汚れもそうですが、各種産業廃棄物の収集から処理も業務の柱の一つです。

 

関連会社の事業になりますが、不用品回収や片付けサービスを行う「片づけのパオ」、家屋などの解体サービス「解体のパオ」を運営しています。ウェブサイトで見積もりや注文が出来て、遠隔地からの依頼も可能です。古物商も認可を受けているので、再利用出来る不用品は利益をお客様に還元しています。震災前から大手さんに先駆けて事業展開し、特に震災後は多くのお客様にご利用頂きました。

 

──会社の強みはどうのような点だとお考えですか?

 

佐藤 お陰様で当社は平成29年に創業40周年を迎えることが出来ました。ここまで事業を続けられたのは、お客様からご依頼された困りごとを一つずつ解決しながら、私たちへの信頼の輪を広げられた成果だと思います。

 

創業当時から比べると、業務に使用する機材は目覚ましい進化を遂げています。現場の意見を汲み取ってくれた機材メーカーさんの努力と、実際に現場に当たってくれている社員の力も大きいと思います。当社の技術者も独自で機材をカスタマイズして実際の現場で使用しているんですよ。業務に使用する高圧洗浄や吸引を行う特殊車両は、半年から1年ほど製作が掛かるものなのですが、メーカーさんの提示から、更に社員の要望を踏まえた仕様に改良しています。経費は掛かりますがね。(笑)この40年で蓄積された経験や人材も大きな強みに挙げられると思います。

 

そして何よりお客様は当然ですが、社員同士のつながりを大切にする部分は誇れる点です。業務上、現場の都合によって朝の時間はなかなか顔を合わせられませんが、業務後の終礼は必ず行って今日の業務の反省や問題点の共有は密接に行っています。

 

先代は「まずはあいさつをしよう」と社員に伝えていました。私の代でもそのイズムは継承しています。この仕事は危険が伴う場合もあり、基本を忘れがちになると業務にも影響が出ることも考えられます。まずはあいさつや身だしなみの基本から見直すことで、社員との「和」、お客様との「輪」、社会との「環」が、初めて広がっていくものだと思っています。

 

■多様なニーズに応えることで暮らしを下支えしていく

 

──業務を行う中で、力を入れている部分は何でしょうか?

 

佐藤 私たちの業務は、なかなか表舞台に立ちにくいものですが、時代の利便性が向上するに従って内容は多岐に及んでいます。タンクなどの材質も鉄などの金属や強化プラスチック、コンクリートと様々です。清掃する現場も貯水槽やオイルタンクのほかに飲料工場や薬品工場、また温泉や介護施設で繁殖する細菌対策も業務の範囲になります。また、配管などの制御の電気系統も複雑化しています。それぞれの現場で、清掃する物や汚れに応じて異なった業務方法が求められる中で、なるべくすべての困りごとに対応出来るように、人材も設備も充実させていければと考えています。

 

そのような意味では、これからもニーズが多く、やりがいのある事業だと考えています。この仕事を志す若い人が増えるよう、魅力を発信出来ればと思っています。

 

 

 

──最後に今後の抱負を。

 

佐藤 震災直後は水が不足していたので会社敷地内に井戸を掘り、住民の方に自由に使えるようにしました。また、近隣の病院にも給水車として車両で回ったんですよ。業務の範囲外でしたが、やれることはお手伝いしたい気持ちが根底にあります。昔も現在も変わらず私たちの使命は、お客様の困りごとを解決することだと思っています。その部分を丁寧に続けていければ、これからの福島の未来の一助になるのかなと思っています。(聞き手・江藤 純)

 

 

■藤 茂代表取締役略歴

 

昭和43年1月19日生まれ。日本大学東北高校から北里大学環境衛生学部を卒業。大手製薬会社に就職後MR(医薬情報担当者)として活躍。先代の体調を契機に家業を継ぐため、関東の廃棄物処理会社で5年経験を積む。平成10年に㈱ミツワへ入社後、15年に現職に。現在は市内で夫人と子供5人(中3、中2、小6年、小5年、5歳)の7人暮らし。

 

 

■企業 DATA

 

設立:昭和53年

 

所在地:郡山市柏山町5

 

事業内容:建造物水槽(貯水槽・オイルタンクなど)の高圧洗浄、廃棄物処理、ビルメンテナンス

 

資本金:1,000万円

 

従業員:36人

 

http://www.kk-mitsuwa.jp/

 

(財界ふくしま2018年2月号掲載)


区切り

2018年1月1日

相馬ガスホールディングス株式会社

次世代エネルギーとして
水素事業に積極的に進出

 

渋佐克之代表取締役社長

 

■24時間365日の〝駆け付け〟サービスを提供

 

――まずは事業内容からお聞かせください。

 

渋佐 当グループは南相馬市と相馬市、新地町においてガス・灯油・ガソリンなどのエネルギー生活サービスを提供しています。具体的には、親会社である相馬ガスホールディングス㈱を中心に、南相馬市においては都市ガス・簡易ガス・LPガスを供給する相馬ガス㈱、同じく南相馬市にあってガス灯油機器、太陽光発電などのエネルギー機器や住設機器の展示販売を行うとともに、器具修理、灯油配送、ガソリンスタンド、ダスキン等を展開する㈱エネルギー生活市場。そして、相馬市と新地町においてLPガス供給、灯油配送、ガソリンスタンドを運営する相馬市ガス㈱の4社で構成され、現在、都市ガスの3000軒とLPガスの約1万軒、合わせて1万3000軒のお客様に支えられながら事業に取り組んでいるところです。

 

創業は昭和35年12月、相双地方唯一の都市ガス会社「相馬ガス」として、旧原町市が出資した第3セクターとして始まりました。ただ、都市ガス事業を始めるには、まず地中にガス導管を設置するなどの相当な設備投資を必要としたため、初めの7年間は赤字続きで大変だったと聞いています。経営が安定し始めたのはLPガス事業を展開するようになってからです。LPガスは住宅にメーターを付けてガスボンベを運ぶものですから、都市ガスと比べ投資は圧倒的に少なく、採算が取りやすかった。そのため、LPガス事業を稼ぎ頭に徐々に営業先を広げていくことで原町市内はもちろん、昭和50年代には相馬市にも進出するようになったんです。その後、営業エリアの拡大や事業の展開に伴って新会社設立を進めてきましたが、事業の効率化を目的に平成22年、これまでの6社体制から相馬ガスホールディングスを親会社とするいまの4社体制に移行しました。

 

震災を経て現在は都市ガスにおける復興公営住宅の事業が功を奏し、業績は震災前の9割台にまで回復しています。ただ、住民帰還がある程度落ち着いたことで、LPガスについては頭打ち感があるのは否めません。そのため、昨年に避難指示が解除された小高区での事業拡大を進めるとともに、復興が進む双葉地域での営業再開についても検討を進めているところです。

 

――現在、相双地方の都市ガス、LPガス事業においてトップ企業にまで成長しました。

 

渋佐 ここまでお客様に支持されるようになったのは、やはり創業以来、「24時間365日」の〝駆け付け〟サービスを徹底したことが大きかったのではないでしょうか。こうしたサービスは当時でも大変珍しかったのですが、いまでも「24時間365日」〝受付〟というところはあるものの、当グループのような〝駆け付け〟とまでなると、まず滅多ありません。この業種は安全安心が重要なウエートを占めますので、電話1本ですぐ駆け付けられることは、サービス面において大きく先行出来ているのだと思っています。

 

もちろん、そのためには人員の確保が大事ですが、それ以上に重要なのが当番制のシステムです。そもそも都市ガスは寝ずの番をしなければならなかったため、すぐに駆け付けることが出来るよう、内勤のみならず外勤の当番制を設けるなど、いまにつながるノウハウを、創業時から蓄積することが出来たんです。

 

■新たに水素エネルギー事業を開始

 

――今年9月にはエネルギー生活市場の敷地内において、県内で2番目、民間では初となる「スマート水素ステーション」を開設するなど、新たに水素事業への進出を始めましたね。

 

渋佐 「水素ステーション」とは、燃料電池自動車にその燃料となる水素を充填する施設です。水素ステーションを大きく分けると「商用」と「自家用」があるのですが、当社は料金をとらない「自家用ステーション」であり、ホンダの「クラリティ」を所持し、当社の趣旨に賛同する法人の方に無料で使用してもらうものになっています。仕組みとしては、エネルギー生活市場の屋上に20㌔㍗の太陽光パネルがあり、そこで発電した電力を元に水素を1日1・5㌔製造し、最大19㌔の貯蔵が可能です。また、一度に2・5㌔の充填が出来、走行距離は約250~300㌔となっています。燃料電池自動車のメリットは、騒音が小さく非常に静かで、かつエネルギー効率が良く走行距離が長いこと。そして、水素の燃焼時には水と少量の窒素酸化物が排出されるだけで二酸化炭素排出量はゼロと、環境に非常にやさしいことが挙げられます。

 

私がこの会社に入ったのは平成5年になりますが、実はそのころから水素エネルギーには並々ならぬ思いを持っていました。入社後、資格取得の勉強をしていたところ、教科書の中で、燃料電池に水素を供給することで全く二酸化炭素を出さないシステムが近い将来に出来る、という記事が載っていたんです。私はその記事に大変心を惹かれまして、以降、社内では次世代エネルギーとして水素の導入のことばかり言っていたんですよね。(笑)

 

具体的な動きになったのは震災後からです。原発事故によって再生可能エネルギーが注目されるようになり、ここがチャンスだと水素事業を始めることにしたんです。

 

――最後に今後の展望を。

 

渋佐 水素エネルギーについては、いまの都市ガスやLPガスのように住宅に水素を供給するなど、いずれは事業の柱の一つにしていきたい。ただ、現状では水素それ自体の製造コストが高く、いまだ実験段階ですから、技術やコスト面での進捗を見ながら事業化していきたいと考えています。今回の水素ステーションは、技術面のスキルアップや、水素自体の認知を広めていくための先行投資です。燃料電池自動車をはじめとした水素関連産業は成長産業であり、住宅水素については2020年ぐらいまでには事業化されると言われています。当社としてもそれに乗り遅れないよう、実験段階から積極的にかかわっていきく。そして近い将来、本格的な商用ステーションを開設出来ればと考えています。

(聞き手・斎藤 翔)

 

 

■渋佐克之代表取締役社長略歴

昭和34年9月11日、南相馬市生まれ。原町高校から慶應義塾大学法学部に入学。平成5年に現・㈱エネルギー生活市場に入社した。その後、相馬ガス㈱の常務取締役、取締役副社長などを経て18年に代表取締役社長に就任。22年に㈱相馬ガスホールディングス代表取締役に就いた。現在、南相馬市内で夫人と2人暮らし。趣味はカラオケ、映画鑑賞。公職では県公安委員長、原町商工会議所副会頭などを務める。

 

 

■企業 DATA

 

創業:昭和35年12月28日

 

所在地:南相馬市原町区青葉町2丁目3

 

事業内容:都市ガス・簡易ガス・LPガス販売、ガス灯油機器・太陽光発電などのエネルギー機器及び住設機器の展示販売、灯油配送、ガソリンスタンド運営など

 

従業員数:80人(グループ全体)

 

資本金:9,500万円

 

(財界ふくしま2018年1月号掲載)


区切り

2017年12月8日

合名会社四家酒造店

地元志向の酒造りで
いわき市に地盤を築く

 

四家久央代表社員

 

■コスト重視から品質重視の酒造りへ

 

――まずは創業の経緯からお聞かせください。

 

四家 当社の創業は江戸時代、弘化2年(1845年)になります。もともとは農業の傍ら薬屋を営む家だったのですが、創業者の又兵衛が酒好きだったことが高じて酒造りを始め、当時、この地を治めていた磐城平藩の城下町で日本酒を販売していたそうです。ただ、昔は藩ごとに酒の値段を決められていましたが、いわきは藩領が入り組んだ土地柄だったため、磐城平藩の城下町にはほかの藩からの安い酒もたくさん入り、価格競争が激しく経営も大変だったと聞いています。

 

その後、戦前から昭和40年代に掛けては、炭鉱の景気に支えられながら市内全域に販売を拡げることが出来、売り上げは順調に伸びていきました。それこそ村ごとに酒屋があったぐらいで、我々酒蔵にとってはとてもいい時代だったんですね。しかし、炭鉱が閉山してしまうと、それまでメーンの消費者だった炭鉱従事者がいなくなってしまった。そのため、日本酒の需要も昭和40、50年代をピークにだんだんと減少し、市内の酒蔵は軒並み苦しい経営環境に置かれるようになったわけなんです。

 

――そこで代表銘柄「又兵衛」が登場するわけですね。

 

四家 当時は自分のところで造った日本酒を、大手メーカーの銘柄にして販売していました。もちろん、「福美」や「竹林」といった独自の銘柄はあったのですが、メーンは大手メーカーのブランド力を借りて地元で販売するという経営だったんです。

 

しかし、日本酒全体の消費落ち込みに伴い、大手メーカーからの受注も少なくなってくると、これまでの経営を変えていく必要が出てきた。そこで自分たちで独自のブランドを築こうと、30数年ほど前に販売を始めたのが「又兵衛」なんです。これは、大手メーカーに出していたコスト重視の日本酒から、品質重視の日本酒にシフトした最初の銘柄であり、発売直後からたちまちヒット商品となりました。また、いまでこそ当たり前になっていますが、当時、人の名前を冠した銘柄は珍しかったと思います。まさに初代・又兵衛の名前を掛けて勝負した銘柄だったんですね。

 

――その意味では「又兵衛」が出て以降、「四家酒造店」の名前が現在のように知られるようになったということでしょうか?

 

四家 そうですね。いままでは地元の酒蔵ながら大手メーカーの銘柄で飲まれていたわけですから、「又兵衛」以降は、特に市内において当社の認知度は一段と高まったと思います。また、「又兵衛」は故・三國連太郎さんや佐藤浩市さんをはじめ県外のファンも多く、いまでも当社を代表する銘柄となっています。

 

 

■新酒造りを年末商戦に間に合わせたい

 

――平成8年の全国新酒鑑評会では、その「又兵衛」で初めての金賞を受賞しました。

 

四家 我々のような浜通りの小さな酒蔵が受賞出来るとは思ってもみませんでしたので、正直驚きました。やはり一番は杜氏の皆さんの頑張りが大きく、品質重視にシフトした取り組みがようやく実ったのだとうれしかったでしたね。

 

また、もう一つ大きかったのが高品質清酒研究会だと思っています。今年の全国新酒鑑評会において5年連続で金賞受賞数1位を獲得するなど、いまでこそ本県の日本酒は有名になりましたが、県内では長年にわたって普通酒を中心に造る酒蔵が多かったこともあり、30年ぐらい前までは金賞が一つも獲れない年もあったんですよ。

 

そこで名倉山酒造㈱社長の松本健男さんらが中心となって平成7年に立ち上げたのが、吟醸酒醸造に関する技術の情報交換を行う高品質清酒研究会になります。ちょうど私も家業に戻ったころで、ここで酵母や火入れなどの勉強をしながら、翌8年に初めて金賞を頂くことが出来ました。それからも何度か金賞を頂き、今年5月の鑑評会でも金賞を受賞することが出来ました。

 

いわきは温暖な気候のため、もろみなどの温度管理が大変難しく、日本酒が造りづらい地域だといわれています。そういう地域でもいい酒を造れることを証明出来たことは、大きな意義があると思っています。

 

――昨年2月には初の純米吟醸酒となる「又兵衛 純米吟醸」を発売しました。

 

四家 当社の特徴は、地元の酒蔵として全体の9割以上が市内で消費されていることで、飲み口も地元のニーズに広く応えるため甘口から辛口まで幅広くそろえています。また、いまだ地元では吟醸酒より、さっぱりとした普通酒の飲み口が好まれる傾向にあり、普通酒と特定名称酒との割合は7・3となっています。

 

ただ、ご多分に漏れず地元でも純米酒志向の需要が高まってきているのは事実であり、その声に応えようと、このたび酒米に県産の「夢の香」を使用した純米吟醸を発売することにしました。透き通った味わいと香りの良さが特徴で熱燗にも適しており、お陰様で売り上げも上々です。いずれは、地元の人が贈答品として「又兵衛 純米吟醸」を選んでもらえるよう、今後も品質の向上に努めていきたいですね。

 

――最後に今後の抱負を伺います。

 

四家 純米酒や大吟醸酒といった特定名称酒の志向は今後も確実に高まっていくことが見込まれますので、行く行くはそちらの方に軸足を移していかなければなりません。ただし、あくまで当社は地元消費をメーンとしている酒蔵ですので、家庭の食卓に並ぶ普通酒についても、バランス良く取り組んでいく。今後もいわきに根差した酒造りを信条に、地元のニーズを見ながら柔軟に対応していきたいと考えています。

 

また、先ほども話した通り、この辺りは温暖な気候のため、ほかの地域と比べ新酒造りに遅れが生じています。例えば、会津では10月ぐらいから新酒が出来ている酒蔵もあるのですが、当社では早くても正月明けになってしまうため、どうしてもワンテンポ遅れてしまう。昨年には冷蔵タンクを導入しましたが、年内での販売を目指して徐々に環境を整えていきたいですね。(聞き手・斎藤 翔)

 

■四家久央代表社員略歴

昭和45年8月28日、いわき市生まれ。磐城高校から國學院大學文学部を卒業。平成5年に家業に入り、24年に現職に。現在、市内で母と2人暮らし。趣味は古文書を読むことで、公職ではいわき市文化財保護審議会で審議員を務める。

 

■企業 DATA

 

設立:弘化2年(1845年)

 

所在地:いわき市内郷高坂町中平14

 

事業内容:清酒の醸造・販売

 

資本金:300万円

 

従業員数:15人

 

(財界ふくしま2017年12月号掲載)


区切り

2017年11月1日

荒川産業株式会社

地域資源発掘業と地域課題解決業の

両輪で地域に貢献する

 

 

荒川健吉代表取締役

 

 

 

■田舎のよろず屋」の精神を貫く

 

──リサイクル事業を中心とした御社の特色から。

 

荒川 私の曽祖父に当たる重四郎が、古着や古道具などを扱う商店として明治26年に創業し、今年(平成29年)で創業125周年を迎えることが出来ました。事業を続けられた特徴として言えるのは、昔もいまも変わらず地域に役立つことを土台に置いていることだと思います。

 

主業としている鉄や古紙、自動車スクラップなどのリサイクル事業は、平成27年に「アマルク」として統一ブランド化し、会津を中心に県内5事業所を展開するまでになりました。その道のりには、地域の皆さんからご提供頂く資源がなければ、成り立ちません。

 

先代(荒川洋二代表取締役相談役)は常々「うちは田舎のよろず屋でいい」と言っていました。お客様が当社を使いやすいように、細かなニーズに対応する姿勢が大事だと考えています。例えば都市圏ですと、資源ごとに収集する業者が違いますが、当社では鉄くずから古紙まで、多岐に資源を取り扱います。また一般的にリサイクル業者は、法人会員だけが利用出来ると思われがちですが、資源ごみのリサイクルボックスでは、「24時間365日」をキャッチフレーズに、個人のお客様でも量の多少関係なく、いつでも誰でも利用出来ます。(次ページ写真)

 

──リサイクル以外に、どのような業務に力を入れられていますか。

 

荒川 当社は事業展開の二本柱として「地域資源発掘業」と「地域課題解決業」を掲げています。地域資源として発掘するのはモノだけでなく、人や環境も当てはまります。障害者やお年寄りが地域を支える人材として輝けるよう、労働支援やリハビリ特化型デイサービスをヘルスケア部門として取り組んでいます。

 

また給食や地元スーパーから出た食品廃棄物で作った肥料の製造・販売を、エコロジー事業の一環として展開しています。それと合わせて肥料の実証実験として、農園も運営しています。将来的には、喜多方のシンボルであるラーメン関係の食品業者の廃棄物を使ってネギなどが栽培出来れば、地域経済の発掘につながるかなと構想しています。

 

──もう一方の「地域課題解決業」には、どんな業務が挙げられますか。

 

荒川 まず挙げられるのは、少子高齢化の問題です。特に会津エリアは、住人がいなくなったあとの空き家対策などは、待ったなしの状況です。

 

残された方々には残念な話になってしまいますが、空き家の遺品整理から解体まで当社がいままで展開してきた事業ですので、個々に業者に依頼しなくても一手に請け負うことが出来ます。残された土地の利用等は、地域の横のつながりで不動産業者をご紹介することも出来ます。依頼されるお客様には段取りを一つの窓口に集約して対応出来て、経済としては、地域企業に仕事が配分出来る理想の形が取れます。

 

また、今年8月にホームページをリニューアルしました。この動きは空き家処理のように、都市部に在住する親類など、これから予想される地域外からのご依頼を見越して、体制を整える意味合いもあります。

 

■地域を支える事で拓ける新ビジネス

 

──リサイクル事業を取り巻く、近年の傾向は?

 

荒川 鉄くずなどの資源はアジア諸国への輸出品として、いまや国際商品化しています。これからは各資源の国際価格やどんな資源が海外で求められているかなど、地域を見る虫の目とともに、グローバルな鳥の目も求められてきています。

 

震災によって資源の流れが変化したことも大きな傾向です。いままで当社がお預かりした廃タイヤは、県外の業者へ処分を委託していましたが、震災後に業者が廃業してしまいました。そこで県内唯一になる廃タイヤ処理専門工場「郡山ウエイストセンター」を設立しました。

 

県内の一大商業地である郡山に拠点が出来たことで、新しい情報も入手出来るようになり、それを地域へ還元出来るメリットも得ました。

 

──事業展開の一方で、地域活性の活動も長年継続しておられますね。

 

荒川 当社が取り扱う様々なリサイクル仕組みをサンプルやパネルで分かりやすく理解出来るリサイクルミュージアム「くるりんこ」は、先代が地域の方々に当社の事業を知ってもらうために平成6年に開設しました。会津エリアの小学生や社会人団体など、多くの方に訪れて頂いています。恐らく、民間企業でリサイクルミュージアムを開設しているのは当社だけだと思います。

 

また、集まった資源を販売した収益金を、地域の小中学校や子ども育成会など資源回収に協力して頂いているオーナーさんや、地元フリーペーパーで募集をかけて手を挙げてくださった地域団体へ助成を行う「故紙コンテナパーク」基金は、継続していきたい活動の一つです。

 

新しい試みとして、地域ポータルサイト「まいぷれ」の会津エリアの運営担当を始めました。地域のいまを地域の方が知るために発信することも、地域貢献と捉えています。このような活動は、地域と絆を深め、事業継続のためにも不可欠ですので、積極的に行っていきます。

 

──最後に今後の展望をお聞かせください。

 

荒川 これからは、いままで培った事業を組み合わせながらをいかにお客様のニーズに沿わせていくかが重要だと感じています。

 

例えば、当社クループのガソリンスタンドでは、1時間500円で軽トラックを貸し出すの格安レンタカーを開始しました。地方では荷物の運搬などで必要となる軽トラックを、農家以外の方にも気軽に使って頂けるような仕組みです。言わば地方版カーシュアリングのようなものです。貸し出したトラックで資源を当社に持ち込むと、回収代を割引する組み合わせも検討しています。

 

また長期的な計画になりますが、いままで培った資源リサイクルを更に成長させて、再生可能エネルギー事業にも取り組めたらと構想しています。地域のニーズを丁寧に汲み取りながら、会津や福島とエリアの輪を広げられればと考えています。(聞き手・江藤 純)

 

 

 

■荒川健吉代表取締役略歴

昭和53年12月5日、喜多方市生まれ。喜多方高校、信州大学経済学部を卒業後、日本通運㈱に入社し物流業界を学ぶ。平成19年に家業である荒川産業㈱へ入社。㈱平和物産の取締役などを兼任し、26年から現職に。創業時からのリサイクル事業のほか、ヘルスケア、ライフサービスなどグループ事業の統括も担っている。現在、喜多方市内で夫人、息子(5歳、3歳)と4人暮らし。趣味は郷土史研究と城巡り。

 

 

 

■企業 DATA

 

創業:明治26年

 

所在地:喜多方市字屋敷免3960

 

事業内容:リサイクル業務、一般・公共工事、機械作業請負・リース、その他環境サービス

 

資本金:2,200万円

 

業員数:109人

 

http://www.amarc.co.jp/

(財界ふくしま2017年11月号掲載)

 

 


区切り

2017年10月1日

株式会社北日本ボーリング

特許技術「自然放射能探査」で
地下水・温泉を掘り当てる

 

北原 賢代表取締役

 

■事前調査を徹底し顧客の側に立った仕事を

 

──まずは地下水や温泉開発などを手掛ける御社の特色から。

 

北原 新潟市水道局に勤務していた父親(北原五郎会長)が昭和38年に起業しました。当社は地下から上がってくる自然放射能を「自然放射能探査装置」で計測し、地下水や温泉源があるかどうかを事前に調べているのが特徴です。

 

通常、事前調査はよほどのことがない限り行われないのですが、当社の場合はお客さんから仕事を頂いた時に自然放射能探査技術を使って事前調査を行い、水が出る地点なのかどうか把握してからでなければ掘削しません。調査によって水が出ないと判断した時には、お客さんに「水は出ませんよ。掘っても無駄ですよ」と提案します。

 

商売として、これがいいのかどうかという面はあるでしょうが、お客さんにとっては、お金を投資しても(地下水や温泉が出ず)無駄になることもあるわけです。ただ掘って、結果として何も出なくてもお金がもらえるということも、契約の仕方によってはあるのですが、それではもらいにくいものがあります。調査をして、間違いなく出ますよと伝えてから掘削をするという、お客さんの側に立った仕事の仕方をしてきたから、当社は今日まで続いているのではないかと思っています。

 

──井戸掘りや温泉堀りといった事業のほか、どのような業務を手掛けていますか。

 

北原 地質調査や水源調査、井戸の設計など水に関係する設計業務も行っています。それから、水処理の工事も行っています。例えば掘削しても、場所によっては水質が悪いところもあります。水道水質の基準に適合しない時には、浄水設備を入れて浄水するわけです。

 

──長年にわたりさく井工事を手掛けている中で、近年の傾向は?

 

北原 企業さんの中には、水道料金が上がってきているので水道を使っていくとコストが合わないということから、地下水に転換していくところがあります。当社でも精密機器製造企業や大学、病院などから依頼を受けて井戸を掘り、浄水して水を提供しています。工業用水に地下水を使ってコストを削減したり、大学も少子化により競争が激しくなる中で固定費の削減として水に着目したりしているようです。

 

──自然界にある放射線を測定して地盤を調査する御社の技法が、6年半前の原発事故によって一度は全く使えなくなりました。その後の新装置開発までの経緯を。

 

北原 3・11後、三春町で調査をしていたら、(原発事故で大気中に放射性物質が放出されたことによって)針が振り切れてしまって、全然使い物にならなくなってしまったんです。それまで全国300カ所以上の調査をしてきました。札幌から北九州まで全国各地の「自然係数の蓄積」データを持っていたのですが、その財産をすべて失ってしまったわけです。一時は廃業しようかとも思いましたよ。東京電力の補償金をもらい、そしてふくしま復興特別資金を借りて、大量の放射線が放出された汚染地域でも測定可能な新しい探査装置の開発を始めました。約2年掛けて、平成24年12月に完成しました。
現在、実務を行いながらデータの蓄積をしているところです。新装置で調査をし、その調査結果を基に井戸を掘っていますが、(原発事故の)影響なく調査が出来ていまして、効果も上がっています。震災後、葛尾村などでも井戸を掘りましたが、自然の放射線強度が上がるところに井戸を掘ると、間違いなく水が出てきます。新装置の有用性が確認されたといえるのではないでしょうか。

 

■独自技術を災害対策や再エネに生かしたい

 

──浜通りの水源復旧のほか、新装置を生かして昨年、相馬市で温泉掘削工事も手掛けられました。

 

北原 相馬市小泉高池地内に温泉が湧出しました。いままで温泉湧出が不可能とされていた地域です。当社の自然放射能探査を実施して温泉掘削工事位置を決定し、当社が温泉掘削工事を行い、お陰様で温度及び湧出量ともに満足頂ける結果を得ることが出来ました。泉質はナトリウム―塩化物温泉で、現在、「天宝の湯」と命名されて温泉施設も完成し、たくさんのお客様でにぎわっています。

 

──水処理の事業では、ヒ素の浄水処理を試験してきました。

 

北原 昨年、会津地方の当社試験プラントで、鉄バクテリアを利用した生物処理法により、自然の地質由来のヒ素の浄水処理に成功しました。当初のヒ素濃度は、0・03~0・04㍉㌘/㍑でしたが、浄水後は0・001㍉㌘/㍑となり、ヒ素の基準値0・01㍉㌘/㍑の10分の1にすることが出来ました。高価な膜濾過方式を採用しなくても、生物の自然浄化作用を利用して、難しいヒ素の浄水処理を経済的に行うことが出来ます。日本でも、ヒ素を浄水して水道水として供給されているところがありますが、今後は水が乏しい地域でも、安全で経済的な浄水が可能となり、給水地域が増加するものと期待しています。

 

──最後に、今後の展望を。

 

北原 当社の技術を生かして、取り組んでみたいと思っているものが2つあります。まずは「活断層による地震災害対策」です。当社の自然放射能探査手法を適用して、効率的にハザードマップの作成などを行いたい。例えば、市町村単位の断層破砕帯の分布マップを作成し、どの市町村のどの構造物が断層上にあるかを把握し、建物の耐震化はもちろんのこと、避難場所や避難経路の確認など地震対策、減債対策について貢献していきたいですね。ただし、これには地方自治体の協力が必要です。いざという時のために、ぜひ検討して頂きたいですね。

 

そして「再生可能エネルギー」の分野で、地中熱ヒートポンプの効率的な設置箇所の選定には、当社の探査技術を生かすことが出来ると思っています。断層破砕帯においては、深度が浅くても地下水温度が上昇しやすいんです。この性質を地中熱エネルギーに利用したい。地中熱ポテンシャルマップに加えて、高温地下水地域マップの作成を手掛け、経費削減などに貢献したいと思っています。

(聞き手・渡辺利彦)

 

■北原 賢代表取締役略歴

昭和37年6月21日、二本松市生まれ。県立福島高校、日本大学理工学部土木工学科を卒業後、60年4月、家業に就いた。平成元年、専務取締役に就任し、6年から現職に。32歳の時、科学技術分野では最難関の国家資格である技術士試験に合格し、現在は技術士(建設部門、総合技術監理部門)を取得している。現在、郡山市内で夫人、息子3人と暮らしている。趣味は読書で、最近は多様な分野の本を読むことにしている。

 

 

 

■企業 DATA

 

創業:昭和38年2月

 

所在地:郡山市小原田4丁目4-6

 

事業内容:建設コンサルタント業、特殊調査の実施及び研究、地質調査業、水源コンサルタント、土木設計

 

資本金:2,000万円

 

従業員数:10人

 

(財界ふくしま2017年10月号掲載)

 

 


区切り

2017年9月4日

アシスト株式会社

“人ありき”の経営理念で
急成長を遂げる

 

大友弘之代表取締役

 

■長年安心して働ける警備会社を起業

 

――まずは事業内容からお聞かせください。

 

大友 交通誘導やイベント警備、施設警備などの総合警備業をメーンに、震災後は除染作業や地盤改良工事も請け負っています。現在は福島と仙台、郡山、会津若松、いわき、南相馬にある各事業所を拠点に営業を行っており、今年6月には宇都宮と東京にも事業所を登記したところです。

 

当社の強みは、各事業所の連携を生かした機動力のある応援体制を築いていることだと思います。業務管理をシステム化したことで、どの事業所がどれぐらいの稼働率なのか瞬時に分かる。そのため、仮に会津で突発的な依頼があっても、近隣の事業所から時間のロスなく隊員を確保することが可能になっているんです。

 

また、もう一つの強みとしては、お祭りなどの比較的大きなイベントの際、移動型AEDをサービスの一環として持ち込むようにしていることでしょうか。警備会社がAEDとそれを使える隊員を派遣することは、業界内でも珍しい取り組みだと思います。イベント主催者の中にはAEDを自ら用意するのが大変な方も多いので、我々のAEDを含めた警備サービスはお客様からも評価を頂いていますね。

 

――会社設立の経緯は?

 

大友 当社は平成21年、仙台で設立しました。もともと私は、18年まで仙台で牛タン屋などの飲食店を経営していたのですが、狂牛病問題の影響から業績が悪化したため店を畳む羽目になったんですね。もちろん、新しく何か起業しようとは思っていたのですが、当面はどこかで資金を稼がなければならず、それで足を踏み入れたのが警備業界だったんですよ。

 

ただ、福島県内のある警備会社に就職してはみたものの、労働環境が悪い上、ガソリン代は実費負担、雇用保険も入れないというところでして…。それで、最初は警備業には興味がなかったのですが、夢のある警備会社をつくろうと思って独立したのがいまの会社なんです。

 

――人の出入りが激しい業界の中、御社では特に福利厚生や給料面の充実に力を入れているそうですね。

 

大友 例えば、あるところでは所長クラスでも朝は7時出勤、夜は9時退勤で給料が月額25万円ほど。これでは将来設計を築くことが出来ず、安心して働けませんよね。

 

また、先ほど出入りが激しい業界と言われましたけど、中には人を使い捨てている会社もあるんですよ。ひどいケースでは、40歳ぐらいまで一生懸命働いても給料が高くなった途端、急な異動を命じられる。その時はもう家庭を持ってマイホームを持っているわけですので、安い給料の中では二重生活が出来ない。それで会社の命令に従うことが出来ず、辞めざるを得なくなるんです。

 

ですから、私がいま何を目指しているのかといえば、社員が安心して骨を埋められる会社です。これは決してきれいごとではなく、“人ありき”の警備業だからこそ、この業界でやっていけると思ったんです。

 

価格競争になれば我々のような小さい会社は立ち行かなくなるので、おのずとサービス面での勝負になる。そのサービスの根本となるのが、隊員一人ひとりの能力です。そのためには隊員教育に力を入れるとともに、社員待遇を良くし優秀な人材を確保しなければならならない。当社では異動はほとんどさせませんし、長く安心して働いてもらえるよう、こども手当をはじめ充実した福利厚生、給料体制を構築してきました。

 

昨年から新卒者の募集を始めたように、ようやく親御さんから見ても安心して子供を預けられる会社、独立した時の経営理念に近付いてきたのかなと思っています。

 

■地盤を固めつつ関東圏の進出を図る

 

大友 ただ設立当時は、資金がかつかつで大変でした。営業に行くにもガソリン代がなくて頭を悩ましたこともありましたね。(笑)

 

ようやく軌道に乗ったのが2年目に入ってから。前の会社にいた時から独立する気でいましたので、進んで営業先を回っては人脈作りに勤しんでいました。そのため、会社設立は仙台でしたけど、顧客に忘れられないうちに再び県内に戻って仕事を取っていったんですよ。また、社員の待遇面を改善したことで、前の会社にいたメンバーを中心に多くの人が会社に集まるようになったため、事業所を矢継ぎ早に立ち上げていくことが出来ました。

 

ただ、県内に各事業所はつくったものの、いわば種を蒔いている段階でしたので売り上げは寂しいものでしたよ。業績が安定し始めたのは震災後からで、復興事業により警備業務の仕事が急激に増えたほか、除染作業の下請けや地盤改良工事を手掛けるようになりました。現在は各事業所でも利益が出るようになり、県内の地盤強化を進めるとともに、更にそこから関東圏への進出を伺っているところです。

 

――今後の展望を伺います。

 

大友 2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、テロや犯罪を未然に防止することが出来る監視カメラシステムの需要増加が見込まれています。そのため、当社でも監視カメラシステムの事業を手掛けていこうと考えており、先日、東京に事業所を設けたのもそのためです。

 

本業の警備業については、日本社会全体で人口減少が進む中、人材確保が一つのカギになると考えています。そのため、高齢者とともに、いま注目しているのが女性なんです。警備業界というと、どうしても男社会のイメージがありますからね。今後は労働環境の改善に努め、更にはシングルマザーが働きやすいようシフトの幅を広げたりと、女性がより活躍出来る会社を目指していきたいと考えています。

 

また、現在は太陽光発電機器の売電と施工メンテナンスを行っているところですが、将来的にはバイオマス発電への参入も考えています。このように、今後も警備業以外のところでも、情勢を読みタイミングを見極めながら様々な事業を展開していければと思っています。(聞き手・斎藤 翔)

 

 

 

■大友弘之代表取締役略歴

昭和45年11月16日、宮城県生まれ。高校中退後、板前、ダンサー、運送ドライバーなどを経て、平成12年に仙台市で牛タン屋を開業。18年に店を畳んだあと、福島県内の警備会社に勤務し、その後21年3月に独立した。現在、郡山市もに在住。趣味はキャンプ。

 

 

 

企業 DATA

 

設立:平成21年3月

 

所在地:福島市成川字仲ノ内10-1

 

事業内容:総合警備業、地盤改良工事、一般土木、除染事業、太陽光発電の設置・施工・管理。メンテナンス、塗装

 

資本金:5,000万円

 

従業員数:320人

 

http://www.assist-z.com

 

(財界ふくしま2017年9月号掲載)


区切り

2017年8月1日

株式会社南進測量

ドローンスクールから
地域の活性化につなげていく

 

樋山秀樹代表取締役

 

■猪苗代にドローンスクールを開校

 

――産業用の小型無人機「ドローン」の操縦士を育成する「ドローンスクールジャパン会津猪苗代校」が5月19日、猪苗代町千代田に開校しました。

 

樋山 このたび、「ドローンスクールジャパン」を全国に展開している㈱スカイロボット(東京都、貝應大介社長)とフランチャイズ契約を結び、国土交通省が認定する管理団体(一社)ドローン操縦士協会(DPA=ディーパ、東京都、小林一郎理事長)の県内初の公認校として、本校を開校しました。

 

ドローンに関しては平成27年12月の法改正以降、「夜間飛行」「目視外飛行」「人・建物30㍍以内での飛行」などにおいて飛行規制が掛かるようになり、これらの条件で飛行するには、あらかじめ国土交通省から承認を受けなければなりません。そして、承認申請には「10時間以上の飛行経験」といった条件が必要になるため、本校ではそれに合わせた操縦技術、更には4Kハイビジョンカメラや赤外線カメラの撮影、空撮技術といったドローンビジネスに関連する様々な技術も習得出来る実技訓練とともに、航空法や電波法などの各種法律を学べる講習を行っているところです。

 

――スクールの講習内容は?

 

樋山 現在、「体験コース」「フライトコース」「ビジネスコース」の3つのカリキュラムを用意しています。

 

「体験コース」とは、産業用ドローンがどういうものか実際に体験出来る90分のコースのことで、インストラクターによる初心者向けのドローン操縦訓練や、空撮テクニックに関するカウンセリング・アドバイス等を行っています。また、現状でドローンを自由に飛ばせるエリアは限られていますので、本施設を利用して個人スキルを磨きたい方にもこちらのコースを利用頂いています。

 

「フライトコース」は、円移動や四角移動といったドローン操縦の基本的な技術を2日間で習得出来るコースです。また、同じく2日間となる「ビジネスコース」では、8の字旋回や赤外線カメラの撮影をはじめ産業用ドローン操縦士に必要な20種類の技術を習得することが出来るようになっています。実際に国交省に申請することが出来るのはこちらの「ビジネスコース」であり、受講は「フライトコース」を受けた方、もしくは操縦経験が10時間以上の方が対象となります。

 

――開校から約2カ月が経ちましたが、現状はいかがでしょうか?

 

樋山 お陰様で建築業や設備業の方を中心に、毎日のように問い合わせや申し込みが来ており、エリアとしては会津よりも中通りと浜通りからのお客様が多いですね。

 

ほかのスクールに比べても、本校ではドローンを飛ばせる時間は多く、また、受講生最大3人につき1人のインストラクターのため、マンツーマンに近い指導が行えるなど、講習内容が充実しているのも強みだと思っています。

 

■地方においてこそドローンの需要はある

 

――もともと御社は測量業を営んでいる会社ですが、今回、ドローンスクールの開校に至ったきっかけは何だったのでしょうか?

 

樋山 当社は会津若松市で平成3年に創業し、これまで測量・設計業務、施工管理などを行ってきました。ただ、近年は公共事業の減少や少子高齢化による深刻な人手不足、それに伴う人件費の高騰など、業界を取り巻く状況は悪化の一途を辿っており、特に我々のような地方の小さな会社ではこのまま行けばジリ貧になるという危機感を持っていました。そのため、何か新しい分野に挑戦しようと考えていたところ、将来性を感じたのがドローンなんですね。
測量業においてはドローンの空撮を活用することで、いまだ試行段階ではあるものの、それでも大幅な工期短縮とコスト削減につながります。そこで、震災直後ぐらいから会社にドローンを導入しようと考え始め、実際に導入したのが昨年暮れのことです。その際、社員がスカイロボットが運営する東京の「ドローンスクールジャパン」で研修したのをきっかけに、ドローン導入と同時にドローンスクールの開校も検討し始めました。
両者をセットで考えたのは、一つはスクールを通してドローンの最新の技術や法律等の情報が得られ、本業の測量にも生かすことが出来ると考えたからです。また、当社も東京で研修したように、地方にドローンスクールが少ない現状において、地元にドローンの文化が広まれば、地域経済の活性化にもつながっていけるのではという社会貢献的な意味合いもありました。

 

――最後に今後の展望を。

 

樋山 ドローンは建設や測量、物流、農業など、様々な分野での活用を期待することが出来ます。そして、中央よりも人口減少が進み、人手不足が深刻化している地方においてこそ、ドローンの可能性は秘められていると思っています。

 

当社が今回、猪苗代にドローンスクールを開校したのは、会津と中通りの両地域からアクセス出来ること、そして、ここが農業地帯であり、猪苗代湖や磐梯山などの観光資源が豊富にあることが決め手となりました。
ドローンの需要は、その地域ごとにより特色が顕著になっていくでしょう。そのため、現在は農薬散布などの農業用ドローンに可能性を感じているところなんですね。いまは企業のお客様がメーンとなっていますが、今後は「農業コース」を整備していくなど、将来的に地域の農家の方がドローンを学びに来てもらえるようしていきたいと考えています。

 

2020年までに産業用ドローンの操縦士は14万人が必要になるとも言われています。本校ではその担い手となる操縦士を育ていくとともに、県内はもとより、近隣県からも広く受講生を呼び込んでいきたい。将来的には観光の一つとして、県内外から多くの観光客が訪れ、マチの活性化につながっていければいいですね。

 

そして、本業の測量業においても、本校とドローンの技術を相互に共有しながら、更に発展することが出来ればと思っています。(聞き手・斎藤 翔)

 

■樋山秀樹代表取締役略歴

和29年7月8日、会津若松市生まれ。東北測量専門学校を卒業後、市内の測量会社での勤務のあと、平成3年に同社を設立した。現在、市内で夫人と2人暮らし。趣味はウオーキングとヨガ。公職では、福島県中小企業家同友会の会津エリア長、会津若松商工会議所議員を務める。

 

企業 DATA

 

創業:平成3年1月

 

所在地:会津若松市行仁町11-7

 

事業内容:造測量設計・調査業務、施工管理業務、許認可申請業務、地質調査業務

 

資本金:500万円

 

従業員数:23人

 

http://www.nanshin.aizu.or.jp/

 

(財界ふくしま2017年8月号掲載)

 

 


区切り

2017年7月1日

会津創苑株式会社

造園業の原点である
‟庭造り”に特化する

 

山岸正明代表取締役

 

■高い専門性とセンスが求められる庭造り

 

――まずは業務内容からお聞かせください。

 
山岸 当社は造園を営む専門業者として、今年で創業35周年を迎えました。これまで会津を拠点に、伝統的な技術、最新の施工方法をもって「四季折々の調和」と「10年、20年先の景観」を目指した施工を手掛け、現在は個人宅の庭造りと、公園や学校、街路樹等の造園工事、植栽管理をはじめとする公共の仕事を両輪としています。

 
――創業の経緯は?

 
山岸 会社を設立したのは昭和57年。高校を卒業後、浪人生だった時にたまたま都内の造園会社でアルバイトをしたことがきっかけでした。当時は特に造園業に興味があったわけでなく、単なる生活費を稼ぐために始めたのですが、生活空間をつくることが出来る造園の仕事にたちまち魅力を感じるようになり、自分の目指す造園会社をつくろうと、地元に戻っていまの会社を立ち上げたんです。もちろん設立当時は実績もありませんでしたから、公共工事を請け負うことは出来ませんでした。ですから、最初のうちは個人のお客様のみを相手に仕事を回していたのですが、施工したお客様からの紹介を通じて徐々に依頼も増えていき、順調に業績を伸ばしていくことが出来ましたね。

 
その後、公共工事にも携われるようになったわけですけど、これまで手掛けてきた庭造りから軸足を移すことはありませんでした。正直な話、採算性だけを考えると公共工事の方が仕事としてはいいのですが、造園の原点といえる、より専門性とセンスが求められる庭造りに強いこだわりを持っていたためです。

 
現在、庭木の剪定作業はやっても、当社のように竹垣や石垣、敷石きなどを通して庭全体のデザインと施工を手掛けているところは、会津でもそう多くないと思います。それだけに、庭造りの施工に特化していることは、当社の大きな強みだと考えています。

 
――震災後、除染をはじめとする復興事業があった中でも、それまでの庭造りを軸にした経営方針を変えることはなかったそうですね。

 
山岸 以前、除染関連の芝生の張り替え作業に携わったことはありましたが、自ら積極的に仕事を取るようなことはありませんでしたね。理由は、一時的にも復興事業に軸を置いてしまうことに、将来的な不安を感じたからなんですよ。
震災から6年が経ち、ここに来て復興事業が落ち着きを見せてきた中、それらをメーンとしていたところでは、現在、新たな受注確保への対応が迫られているのが実情です。かといって、復興以外の公共事業の見通しについても、私はそう明るくないと考えています。特に人口減少が進む地方においては、当然ながら公共物の新規施工の件数は減っていきますから、小さなパイを奪う形で今後更なる競争激化が予想されるからです。

 
これは、既存の植栽管理についても同様だと思います。新しく公園を整備しても、その後も維持管理する費用が継続的に発生しますよね。ですから、例えば年間の剪定の回数を減らしたり、もしくは植林の数を少なくしたりと、今後行政としても管理費の縮減により一層取り組んでいくことでしょう。

 
そうなると、公共工事が少なくなった分、個人宅の施工の比重は高まっていきます。ただ、庭造りの分野は高い専門性とセンスが求められるものであり、これは一朝一夕で始められるわけではないですし、仮に一時的にも休んでしまえば技術はすぐ錆びれてしまう。もちろん公共の仕事も大切ですけど、私が震災後もあくまで庭造りに軸を置いてきたのは、そういう理由があったからでした。

 
造園業における市場が縮小傾向にある中、今後は専門性をより一層高め、ほかとの差別化を図らなければ、特に我々のような小さいところではこの業界で生き残っていけない。私は、技術力の差が明確に反映される庭造りのノウハウこそが、ほかとの差別化が出来る最大の武器だと考えているんです。

 
■一軒の利益率は下がりながらも維持管理数だけは増加

 
――現在、個人の顧客についてはどのようなニーズが多いのでしょうか?

 
山岸 最近では、夏場の草刈りや剪定作業を少なくして欲しいなど、なるべく手間と管理費用が掛からない庭を望まれる方が増えています。また、核家族化が進んでたことで、特に若い世帯を中心に新築住宅の坪数が小さくなっており、それに伴い庭の規模も縮小しているんです。このように、公共工事と同じく個人のお客様についても、全体として庭に掛かる造園費用を抑える傾向になってきています。

 
つまり、一軒一軒における施工の利益率は下がってきているわけですが、その一方、個人で剪定作業が出来る方が少なくなってきたためか、庭の年間維持管理の依頼自体の数は増えているんですよ。そのため、いかに効率良く、かつ採算ベースに見合った形で仕事を受注していくのかが、今後の課題だと感じています。

 
そのほか、当社では業界内でも一早くホームページを立ち上げ、ここを見て依頼してくる方も増えてきています。やはり個人のお客様にとっては、実物を見なければイメージも沸きづらいですから、今後もこういったメディアも活用しながら営業に力を入れていきたいですね。

 
――今後の展望・課題についてお願いします。

 
山岸 技術力の向上と伝承を守っていくためには、若い人材の確保と育成がカギとなります。

 
当社では、従業員一人ひとりが社長であると意識してもらうよう、トップへの許可ごとをなるべく排除するなど、従業員に大きな裁量権を与えるようにしています。加えて、書類のペーパーレス化や事務作業の効率化を進めており、本業にそのリソースを十二分に充てられるよう努めているところです。

 
それぞれが責任感を持って自発的に動いていく。大きな変化の時を迎えている中、どのような事態にも対応出来る人材を育てていかなければならないと考えています。 (聞き手・斎藤 翔)

 

■山岸正明代表取締役略歴

 

昭和27年3月20日、会津若松市生まれ。会津高校を卒業後、東京都の造園会社でアルバイト経験し、帰郷後、市内の同業他社で3年間修業した後、57年6月に同社を設立した。現在、夫人と1女と3人暮らし。趣味はジャズ鑑賞。

 

■企業 DATA

 

設立:昭和57年6月

 

所在地:会津若松市石堂町9-43

 

事業内容:造園工事・土木工事・とび土工・石工事・樹木草花販売・緑化資材販売

 

資本金:2,000万円

 

従業員数:8人

 

http://www.aizusouen.sakura.ne.jp/

 

(財界ふくしま2017年7月号掲載)


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