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あの味この味 区切り

2017年12月8日

合名会社四家酒造店

地元志向の酒造りで
いわき市に地盤を築く

 

四家久央代表社員

 

■コスト重視から品質重視の酒造りへ

 

――まずは創業の経緯からお聞かせください。

 

四家 当社の創業は江戸時代、弘化2年(1845年)になります。もともとは農業の傍ら薬屋を営む家だったのですが、創業者の又兵衛が酒好きだったことが高じて酒造りを始め、当時、この地を治めていた磐城平藩の城下町で日本酒を販売していたそうです。ただ、昔は藩ごとに酒の値段を決められていましたが、いわきは藩領が入り組んだ土地柄だったため、磐城平藩の城下町にはほかの藩からの安い酒もたくさん入り、価格競争が激しく経営も大変だったと聞いています。

 

その後、戦前から昭和40年代に掛けては、炭鉱の景気に支えられながら市内全域に販売を拡げることが出来、売り上げは順調に伸びていきました。それこそ村ごとに酒屋があったぐらいで、我々酒蔵にとってはとてもいい時代だったんですね。しかし、炭鉱が閉山してしまうと、それまでメーンの消費者だった炭鉱従事者がいなくなってしまった。そのため、日本酒の需要も昭和40、50年代をピークにだんだんと減少し、市内の酒蔵は軒並み苦しい経営環境に置かれるようになったわけなんです。

 

――そこで代表銘柄「又兵衛」が登場するわけですね。

 

四家 当時は自分のところで造った日本酒を、大手メーカーの銘柄にして販売していました。もちろん、「福美」や「竹林」といった独自の銘柄はあったのですが、メーンは大手メーカーのブランド力を借りて地元で販売するという経営だったんです。

 

しかし、日本酒全体の消費落ち込みに伴い、大手メーカーからの受注も少なくなってくると、これまでの経営を変えていく必要が出てきた。そこで自分たちで独自のブランドを築こうと、30数年ほど前に販売を始めたのが「又兵衛」なんです。これは、大手メーカーに出していたコスト重視の日本酒から、品質重視の日本酒にシフトした最初の銘柄であり、発売直後からたちまちヒット商品となりました。また、いまでこそ当たり前になっていますが、当時、人の名前を冠した銘柄は珍しかったと思います。まさに初代・又兵衛の名前を掛けて勝負した銘柄だったんですね。

 

――その意味では「又兵衛」が出て以降、「四家酒造店」の名前が現在のように知られるようになったということでしょうか?

 

四家 そうですね。いままでは地元の酒蔵ながら大手メーカーの銘柄で飲まれていたわけですから、「又兵衛」以降は、特に市内において当社の認知度は一段と高まったと思います。また、「又兵衛」は故・三國連太郎さんや佐藤浩市さんをはじめ県外のファンも多く、いまでも当社を代表する銘柄となっています。

 

 

■新酒造りを年末商戦に間に合わせたい

 

――平成8年の全国新酒鑑評会では、その「又兵衛」で初めての金賞を受賞しました。

 

四家 我々のような浜通りの小さな酒蔵が受賞出来るとは思ってもみませんでしたので、正直驚きました。やはり一番は杜氏の皆さんの頑張りが大きく、品質重視にシフトした取り組みがようやく実ったのだとうれしかったでしたね。

 

また、もう一つ大きかったのが高品質清酒研究会だと思っています。今年の全国新酒鑑評会において5年連続で金賞受賞数1位を獲得するなど、いまでこそ本県の日本酒は有名になりましたが、県内では長年にわたって普通酒を中心に造る酒蔵が多かったこともあり、30年ぐらい前までは金賞が一つも獲れない年もあったんですよ。

 

そこで名倉山酒造㈱社長の松本健男さんらが中心となって平成7年に立ち上げたのが、吟醸酒醸造に関する技術の情報交換を行う高品質清酒研究会になります。ちょうど私も家業に戻ったころで、ここで酵母や火入れなどの勉強をしながら、翌8年に初めて金賞を頂くことが出来ました。それからも何度か金賞を頂き、今年5月の鑑評会でも金賞を受賞することが出来ました。

 

いわきは温暖な気候のため、もろみなどの温度管理が大変難しく、日本酒が造りづらい地域だといわれています。そういう地域でもいい酒を造れることを証明出来たことは、大きな意義があると思っています。

 

――昨年2月には初の純米吟醸酒となる「又兵衛 純米吟醸」を発売しました。

 

四家 当社の特徴は、地元の酒蔵として全体の9割以上が市内で消費されていることで、飲み口も地元のニーズに広く応えるため甘口から辛口まで幅広くそろえています。また、いまだ地元では吟醸酒より、さっぱりとした普通酒の飲み口が好まれる傾向にあり、普通酒と特定名称酒との割合は7・3となっています。

 

ただ、ご多分に漏れず地元でも純米酒志向の需要が高まってきているのは事実であり、その声に応えようと、このたび酒米に県産の「夢の香」を使用した純米吟醸を発売することにしました。透き通った味わいと香りの良さが特徴で熱燗にも適しており、お陰様で売り上げも上々です。いずれは、地元の人が贈答品として「又兵衛 純米吟醸」を選んでもらえるよう、今後も品質の向上に努めていきたいですね。

 

――最後に今後の抱負を伺います。

 

四家 純米酒や大吟醸酒といった特定名称酒の志向は今後も確実に高まっていくことが見込まれますので、行く行くはそちらの方に軸足を移していかなければなりません。ただし、あくまで当社は地元消費をメーンとしている酒蔵ですので、家庭の食卓に並ぶ普通酒についても、バランス良く取り組んでいく。今後もいわきに根差した酒造りを信条に、地元のニーズを見ながら柔軟に対応していきたいと考えています。

 

また、先ほども話した通り、この辺りは温暖な気候のため、ほかの地域と比べ新酒造りに遅れが生じています。例えば、会津では10月ぐらいから新酒が出来ている酒蔵もあるのですが、当社では早くても正月明けになってしまうため、どうしてもワンテンポ遅れてしまう。昨年には冷蔵タンクを導入しましたが、年内での販売を目指して徐々に環境を整えていきたいですね。(聞き手・斎藤 翔)

 

■四家久央代表社員略歴

昭和45年8月28日、いわき市生まれ。磐城高校から國學院大學文学部を卒業。平成5年に家業に入り、24年に現職に。現在、市内で母と2人暮らし。趣味は古文書を読むことで、公職ではいわき市文化財保護審議会で審議員を務める。

 

■企業 DATA

 

設立:弘化2年(1845年)

 

所在地:いわき市内郷高坂町中平14

 

事業内容:清酒の醸造・販売

 

資本金:300万円

 

従業員数:15人

 

(財界ふくしま2017年12月号掲載)


区切り

2017年11月1日

荒川産業株式会社

地域資源発掘業と地域課題解決業の

両輪で地域に貢献する

 

 

荒川健吉代表取締役

 

 

 

■田舎のよろず屋」の精神を貫く

 

──リサイクル事業を中心とした御社の特色から。

 

荒川 私の曽祖父に当たる重四郎が、古着や古道具などを扱う商店として明治26年に創業し、今年(平成29年)で創業125周年を迎えることが出来ました。事業を続けられた特徴として言えるのは、昔もいまも変わらず地域に役立つことを土台に置いていることだと思います。

 

主業としている鉄や古紙、自動車スクラップなどのリサイクル事業は、平成27年に「アマルク」として統一ブランド化し、会津を中心に県内5事業所を展開するまでになりました。その道のりには、地域の皆さんからご提供頂く資源がなければ、成り立ちません。

 

先代(荒川洋二代表取締役相談役)は常々「うちは田舎のよろず屋でいい」と言っていました。お客様が当社を使いやすいように、細かなニーズに対応する姿勢が大事だと考えています。例えば都市圏ですと、資源ごとに収集する業者が違いますが、当社では鉄くずから古紙まで、多岐に資源を取り扱います。また一般的にリサイクル業者は、法人会員だけが利用出来ると思われがちですが、資源ごみのリサイクルボックスでは、「24時間365日」をキャッチフレーズに、個人のお客様でも量の多少関係なく、いつでも誰でも利用出来ます。(次ページ写真)

 

──リサイクル以外に、どのような業務に力を入れられていますか。

 

荒川 当社は事業展開の二本柱として「地域資源発掘業」と「地域課題解決業」を掲げています。地域資源として発掘するのはモノだけでなく、人や環境も当てはまります。障害者やお年寄りが地域を支える人材として輝けるよう、労働支援やリハビリ特化型デイサービスをヘルスケア部門として取り組んでいます。

 

また給食や地元スーパーから出た食品廃棄物で作った肥料の製造・販売を、エコロジー事業の一環として展開しています。それと合わせて肥料の実証実験として、農園も運営しています。将来的には、喜多方のシンボルであるラーメン関係の食品業者の廃棄物を使ってネギなどが栽培出来れば、地域経済の発掘につながるかなと構想しています。

 

──もう一方の「地域課題解決業」には、どんな業務が挙げられますか。

 

荒川 まず挙げられるのは、少子高齢化の問題です。特に会津エリアは、住人がいなくなったあとの空き家対策などは、待ったなしの状況です。

 

残された方々には残念な話になってしまいますが、空き家の遺品整理から解体まで当社がいままで展開してきた事業ですので、個々に業者に依頼しなくても一手に請け負うことが出来ます。残された土地の利用等は、地域の横のつながりで不動産業者をご紹介することも出来ます。依頼されるお客様には段取りを一つの窓口に集約して対応出来て、経済としては、地域企業に仕事が配分出来る理想の形が取れます。

 

また、今年8月にホームページをリニューアルしました。この動きは空き家処理のように、都市部に在住する親類など、これから予想される地域外からのご依頼を見越して、体制を整える意味合いもあります。

 

■地域を支える事で拓ける新ビジネス

 

──リサイクル事業を取り巻く、近年の傾向は?

 

荒川 鉄くずなどの資源はアジア諸国への輸出品として、いまや国際商品化しています。これからは各資源の国際価格やどんな資源が海外で求められているかなど、地域を見る虫の目とともに、グローバルな鳥の目も求められてきています。

 

震災によって資源の流れが変化したことも大きな傾向です。いままで当社がお預かりした廃タイヤは、県外の業者へ処分を委託していましたが、震災後に業者が廃業してしまいました。そこで県内唯一になる廃タイヤ処理専門工場「郡山ウエイストセンター」を設立しました。

 

県内の一大商業地である郡山に拠点が出来たことで、新しい情報も入手出来るようになり、それを地域へ還元出来るメリットも得ました。

 

──事業展開の一方で、地域活性の活動も長年継続しておられますね。

 

荒川 当社が取り扱う様々なリサイクル仕組みをサンプルやパネルで分かりやすく理解出来るリサイクルミュージアム「くるりんこ」は、先代が地域の方々に当社の事業を知ってもらうために平成6年に開設しました。会津エリアの小学生や社会人団体など、多くの方に訪れて頂いています。恐らく、民間企業でリサイクルミュージアムを開設しているのは当社だけだと思います。

 

また、集まった資源を販売した収益金を、地域の小中学校や子ども育成会など資源回収に協力して頂いているオーナーさんや、地元フリーペーパーで募集をかけて手を挙げてくださった地域団体へ助成を行う「故紙コンテナパーク」基金は、継続していきたい活動の一つです。

 

新しい試みとして、地域ポータルサイト「まいぷれ」の会津エリアの運営担当を始めました。地域のいまを地域の方が知るために発信することも、地域貢献と捉えています。このような活動は、地域と絆を深め、事業継続のためにも不可欠ですので、積極的に行っていきます。

 

──最後に今後の展望をお聞かせください。

 

荒川 これからは、いままで培った事業を組み合わせながらをいかにお客様のニーズに沿わせていくかが重要だと感じています。

 

例えば、当社クループのガソリンスタンドでは、1時間500円で軽トラックを貸し出すの格安レンタカーを開始しました。地方では荷物の運搬などで必要となる軽トラックを、農家以外の方にも気軽に使って頂けるような仕組みです。言わば地方版カーシュアリングのようなものです。貸し出したトラックで資源を当社に持ち込むと、回収代を割引する組み合わせも検討しています。

 

また長期的な計画になりますが、いままで培った資源リサイクルを更に成長させて、再生可能エネルギー事業にも取り組めたらと構想しています。地域のニーズを丁寧に汲み取りながら、会津や福島とエリアの輪を広げられればと考えています。(聞き手・江藤 純)

 

 

 

■荒川健吉代表取締役略歴

昭和53年12月5日、喜多方市生まれ。喜多方高校、信州大学経済学部を卒業後、日本通運㈱に入社し物流業界を学ぶ。平成19年に家業である荒川産業㈱へ入社。㈱平和物産の取締役などを兼任し、26年から現職に。創業時からのリサイクル事業のほか、ヘルスケア、ライフサービスなどグループ事業の統括も担っている。現在、喜多方市内で夫人、息子(5歳、3歳)と4人暮らし。趣味は郷土史研究と城巡り。

 

 

 

■企業 DATA

 

創業:明治26年

 

所在地:喜多方市字屋敷免3960

 

事業内容:リサイクル業務、一般・公共工事、機械作業請負・リース、その他環境サービス

 

資本金:2,200万円

 

業員数:109人

 

http://www.amarc.co.jp/

(財界ふくしま2017年11月号掲載)

 

 


区切り

2017年10月1日

株式会社北日本ボーリング

特許技術「自然放射能探査」で
地下水・温泉を掘り当てる

 

北原 賢代表取締役

 

■事前調査を徹底し顧客の側に立った仕事を

 

──まずは地下水や温泉開発などを手掛ける御社の特色から。

 

北原 新潟市水道局に勤務していた父親(北原五郎会長)が昭和38年に起業しました。当社は地下から上がってくる自然放射能を「自然放射能探査装置」で計測し、地下水や温泉源があるかどうかを事前に調べているのが特徴です。

 

通常、事前調査はよほどのことがない限り行われないのですが、当社の場合はお客さんから仕事を頂いた時に自然放射能探査技術を使って事前調査を行い、水が出る地点なのかどうか把握してからでなければ掘削しません。調査によって水が出ないと判断した時には、お客さんに「水は出ませんよ。掘っても無駄ですよ」と提案します。

 

商売として、これがいいのかどうかという面はあるでしょうが、お客さんにとっては、お金を投資しても(地下水や温泉が出ず)無駄になることもあるわけです。ただ掘って、結果として何も出なくてもお金がもらえるということも、契約の仕方によってはあるのですが、それではもらいにくいものがあります。調査をして、間違いなく出ますよと伝えてから掘削をするという、お客さんの側に立った仕事の仕方をしてきたから、当社は今日まで続いているのではないかと思っています。

 

──井戸掘りや温泉堀りといった事業のほか、どのような業務を手掛けていますか。

 

北原 地質調査や水源調査、井戸の設計など水に関係する設計業務も行っています。それから、水処理の工事も行っています。例えば掘削しても、場所によっては水質が悪いところもあります。水道水質の基準に適合しない時には、浄水設備を入れて浄水するわけです。

 

──長年にわたりさく井工事を手掛けている中で、近年の傾向は?

 

北原 企業さんの中には、水道料金が上がってきているので水道を使っていくとコストが合わないということから、地下水に転換していくところがあります。当社でも精密機器製造企業や大学、病院などから依頼を受けて井戸を掘り、浄水して水を提供しています。工業用水に地下水を使ってコストを削減したり、大学も少子化により競争が激しくなる中で固定費の削減として水に着目したりしているようです。

 

──自然界にある放射線を測定して地盤を調査する御社の技法が、6年半前の原発事故によって一度は全く使えなくなりました。その後の新装置開発までの経緯を。

 

北原 3・11後、三春町で調査をしていたら、(原発事故で大気中に放射性物質が放出されたことによって)針が振り切れてしまって、全然使い物にならなくなってしまったんです。それまで全国300カ所以上の調査をしてきました。札幌から北九州まで全国各地の「自然係数の蓄積」データを持っていたのですが、その財産をすべて失ってしまったわけです。一時は廃業しようかとも思いましたよ。東京電力の補償金をもらい、そしてふくしま復興特別資金を借りて、大量の放射線が放出された汚染地域でも測定可能な新しい探査装置の開発を始めました。約2年掛けて、平成24年12月に完成しました。
現在、実務を行いながらデータの蓄積をしているところです。新装置で調査をし、その調査結果を基に井戸を掘っていますが、(原発事故の)影響なく調査が出来ていまして、効果も上がっています。震災後、葛尾村などでも井戸を掘りましたが、自然の放射線強度が上がるところに井戸を掘ると、間違いなく水が出てきます。新装置の有用性が確認されたといえるのではないでしょうか。

 

■独自技術を災害対策や再エネに生かしたい

 

──浜通りの水源復旧のほか、新装置を生かして昨年、相馬市で温泉掘削工事も手掛けられました。

 

北原 相馬市小泉高池地内に温泉が湧出しました。いままで温泉湧出が不可能とされていた地域です。当社の自然放射能探査を実施して温泉掘削工事位置を決定し、当社が温泉掘削工事を行い、お陰様で温度及び湧出量ともに満足頂ける結果を得ることが出来ました。泉質はナトリウム―塩化物温泉で、現在、「天宝の湯」と命名されて温泉施設も完成し、たくさんのお客様でにぎわっています。

 

──水処理の事業では、ヒ素の浄水処理を試験してきました。

 

北原 昨年、会津地方の当社試験プラントで、鉄バクテリアを利用した生物処理法により、自然の地質由来のヒ素の浄水処理に成功しました。当初のヒ素濃度は、0・03~0・04㍉㌘/㍑でしたが、浄水後は0・001㍉㌘/㍑となり、ヒ素の基準値0・01㍉㌘/㍑の10分の1にすることが出来ました。高価な膜濾過方式を採用しなくても、生物の自然浄化作用を利用して、難しいヒ素の浄水処理を経済的に行うことが出来ます。日本でも、ヒ素を浄水して水道水として供給されているところがありますが、今後は水が乏しい地域でも、安全で経済的な浄水が可能となり、給水地域が増加するものと期待しています。

 

──最後に、今後の展望を。

 

北原 当社の技術を生かして、取り組んでみたいと思っているものが2つあります。まずは「活断層による地震災害対策」です。当社の自然放射能探査手法を適用して、効率的にハザードマップの作成などを行いたい。例えば、市町村単位の断層破砕帯の分布マップを作成し、どの市町村のどの構造物が断層上にあるかを把握し、建物の耐震化はもちろんのこと、避難場所や避難経路の確認など地震対策、減債対策について貢献していきたいですね。ただし、これには地方自治体の協力が必要です。いざという時のために、ぜひ検討して頂きたいですね。

 

そして「再生可能エネルギー」の分野で、地中熱ヒートポンプの効率的な設置箇所の選定には、当社の探査技術を生かすことが出来ると思っています。断層破砕帯においては、深度が浅くても地下水温度が上昇しやすいんです。この性質を地中熱エネルギーに利用したい。地中熱ポテンシャルマップに加えて、高温地下水地域マップの作成を手掛け、経費削減などに貢献したいと思っています。

(聞き手・渡辺利彦)

 

■北原 賢代表取締役略歴

昭和37年6月21日、二本松市生まれ。県立福島高校、日本大学理工学部土木工学科を卒業後、60年4月、家業に就いた。平成元年、専務取締役に就任し、6年から現職に。32歳の時、科学技術分野では最難関の国家資格である技術士試験に合格し、現在は技術士(建設部門、総合技術監理部門)を取得している。現在、郡山市内で夫人、息子3人と暮らしている。趣味は読書で、最近は多様な分野の本を読むことにしている。

 

 

 

■企業 DATA

 

創業:昭和38年2月

 

所在地:郡山市小原田4丁目4-6

 

事業内容:建設コンサルタント業、特殊調査の実施及び研究、地質調査業、水源コンサルタント、土木設計

 

資本金:2,000万円

 

従業員数:10人

 

(財界ふくしま2017年10月号掲載)

 

 


区切り

2017年9月4日

アシスト株式会社

“人ありき”の経営理念で
急成長を遂げる

 

大友弘之代表取締役

 

■長年安心して働ける警備会社を起業

 

――まずは事業内容からお聞かせください。

 

大友 交通誘導やイベント警備、施設警備などの総合警備業をメーンに、震災後は除染作業や地盤改良工事も請け負っています。現在は福島と仙台、郡山、会津若松、いわき、南相馬にある各事業所を拠点に営業を行っており、今年6月には宇都宮と東京にも事業所を登記したところです。

 

当社の強みは、各事業所の連携を生かした機動力のある応援体制を築いていることだと思います。業務管理をシステム化したことで、どの事業所がどれぐらいの稼働率なのか瞬時に分かる。そのため、仮に会津で突発的な依頼があっても、近隣の事業所から時間のロスなく隊員を確保することが可能になっているんです。

 

また、もう一つの強みとしては、お祭りなどの比較的大きなイベントの際、移動型AEDをサービスの一環として持ち込むようにしていることでしょうか。警備会社がAEDとそれを使える隊員を派遣することは、業界内でも珍しい取り組みだと思います。イベント主催者の中にはAEDを自ら用意するのが大変な方も多いので、我々のAEDを含めた警備サービスはお客様からも評価を頂いていますね。

 

――会社設立の経緯は?

 

大友 当社は平成21年、仙台で設立しました。もともと私は、18年まで仙台で牛タン屋などの飲食店を経営していたのですが、狂牛病問題の影響から業績が悪化したため店を畳む羽目になったんですね。もちろん、新しく何か起業しようとは思っていたのですが、当面はどこかで資金を稼がなければならず、それで足を踏み入れたのが警備業界だったんですよ。

 

ただ、福島県内のある警備会社に就職してはみたものの、労働環境が悪い上、ガソリン代は実費負担、雇用保険も入れないというところでして…。それで、最初は警備業には興味がなかったのですが、夢のある警備会社をつくろうと思って独立したのがいまの会社なんです。

 

――人の出入りが激しい業界の中、御社では特に福利厚生や給料面の充実に力を入れているそうですね。

 

大友 例えば、あるところでは所長クラスでも朝は7時出勤、夜は9時退勤で給料が月額25万円ほど。これでは将来設計を築くことが出来ず、安心して働けませんよね。

 

また、先ほど出入りが激しい業界と言われましたけど、中には人を使い捨てている会社もあるんですよ。ひどいケースでは、40歳ぐらいまで一生懸命働いても給料が高くなった途端、急な異動を命じられる。その時はもう家庭を持ってマイホームを持っているわけですので、安い給料の中では二重生活が出来ない。それで会社の命令に従うことが出来ず、辞めざるを得なくなるんです。

 

ですから、私がいま何を目指しているのかといえば、社員が安心して骨を埋められる会社です。これは決してきれいごとではなく、“人ありき”の警備業だからこそ、この業界でやっていけると思ったんです。

 

価格競争になれば我々のような小さい会社は立ち行かなくなるので、おのずとサービス面での勝負になる。そのサービスの根本となるのが、隊員一人ひとりの能力です。そのためには隊員教育に力を入れるとともに、社員待遇を良くし優秀な人材を確保しなければならならない。当社では異動はほとんどさせませんし、長く安心して働いてもらえるよう、こども手当をはじめ充実した福利厚生、給料体制を構築してきました。

 

昨年から新卒者の募集を始めたように、ようやく親御さんから見ても安心して子供を預けられる会社、独立した時の経営理念に近付いてきたのかなと思っています。

 

■地盤を固めつつ関東圏の進出を図る

 

大友 ただ設立当時は、資金がかつかつで大変でした。営業に行くにもガソリン代がなくて頭を悩ましたこともありましたね。(笑)

 

ようやく軌道に乗ったのが2年目に入ってから。前の会社にいた時から独立する気でいましたので、進んで営業先を回っては人脈作りに勤しんでいました。そのため、会社設立は仙台でしたけど、顧客に忘れられないうちに再び県内に戻って仕事を取っていったんですよ。また、社員の待遇面を改善したことで、前の会社にいたメンバーを中心に多くの人が会社に集まるようになったため、事業所を矢継ぎ早に立ち上げていくことが出来ました。

 

ただ、県内に各事業所はつくったものの、いわば種を蒔いている段階でしたので売り上げは寂しいものでしたよ。業績が安定し始めたのは震災後からで、復興事業により警備業務の仕事が急激に増えたほか、除染作業の下請けや地盤改良工事を手掛けるようになりました。現在は各事業所でも利益が出るようになり、県内の地盤強化を進めるとともに、更にそこから関東圏への進出を伺っているところです。

 

――今後の展望を伺います。

 

大友 2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、テロや犯罪を未然に防止することが出来る監視カメラシステムの需要増加が見込まれています。そのため、当社でも監視カメラシステムの事業を手掛けていこうと考えており、先日、東京に事業所を設けたのもそのためです。

 

本業の警備業については、日本社会全体で人口減少が進む中、人材確保が一つのカギになると考えています。そのため、高齢者とともに、いま注目しているのが女性なんです。警備業界というと、どうしても男社会のイメージがありますからね。今後は労働環境の改善に努め、更にはシングルマザーが働きやすいようシフトの幅を広げたりと、女性がより活躍出来る会社を目指していきたいと考えています。

 

また、現在は太陽光発電機器の売電と施工メンテナンスを行っているところですが、将来的にはバイオマス発電への参入も考えています。このように、今後も警備業以外のところでも、情勢を読みタイミングを見極めながら様々な事業を展開していければと思っています。(聞き手・斎藤 翔)

 

 

 

■大友弘之代表取締役略歴

昭和45年11月16日、宮城県生まれ。高校中退後、板前、ダンサー、運送ドライバーなどを経て、平成12年に仙台市で牛タン屋を開業。18年に店を畳んだあと、福島県内の警備会社に勤務し、その後21年3月に独立した。現在、郡山市もに在住。趣味はキャンプ。

 

 

 

企業 DATA

 

設立:平成21年3月

 

所在地:福島市成川字仲ノ内10-1

 

事業内容:総合警備業、地盤改良工事、一般土木、除染事業、太陽光発電の設置・施工・管理。メンテナンス、塗装

 

資本金:5,000万円

 

従業員数:320人

 

http://www.assist-z.com

 

(財界ふくしま2017年9月号掲載)


区切り

2017年8月1日

株式会社南進測量

ドローンスクールから
地域の活性化につなげていく

 

樋山秀樹代表取締役

 

■猪苗代にドローンスクールを開校

 

――産業用の小型無人機「ドローン」の操縦士を育成する「ドローンスクールジャパン会津猪苗代校」が5月19日、猪苗代町千代田に開校しました。

 

樋山 このたび、「ドローンスクールジャパン」を全国に展開している㈱スカイロボット(東京都、貝應大介社長)とフランチャイズ契約を結び、国土交通省が認定する管理団体(一社)ドローン操縦士協会(DPA=ディーパ、東京都、小林一郎理事長)の県内初の公認校として、本校を開校しました。

 

ドローンに関しては平成27年12月の法改正以降、「夜間飛行」「目視外飛行」「人・建物30㍍以内での飛行」などにおいて飛行規制が掛かるようになり、これらの条件で飛行するには、あらかじめ国土交通省から承認を受けなければなりません。そして、承認申請には「10時間以上の飛行経験」といった条件が必要になるため、本校ではそれに合わせた操縦技術、更には4Kハイビジョンカメラや赤外線カメラの撮影、空撮技術といったドローンビジネスに関連する様々な技術も習得出来る実技訓練とともに、航空法や電波法などの各種法律を学べる講習を行っているところです。

 

――スクールの講習内容は?

 

樋山 現在、「体験コース」「フライトコース」「ビジネスコース」の3つのカリキュラムを用意しています。

 

「体験コース」とは、産業用ドローンがどういうものか実際に体験出来る90分のコースのことで、インストラクターによる初心者向けのドローン操縦訓練や、空撮テクニックに関するカウンセリング・アドバイス等を行っています。また、現状でドローンを自由に飛ばせるエリアは限られていますので、本施設を利用して個人スキルを磨きたい方にもこちらのコースを利用頂いています。

 

「フライトコース」は、円移動や四角移動といったドローン操縦の基本的な技術を2日間で習得出来るコースです。また、同じく2日間となる「ビジネスコース」では、8の字旋回や赤外線カメラの撮影をはじめ産業用ドローン操縦士に必要な20種類の技術を習得することが出来るようになっています。実際に国交省に申請することが出来るのはこちらの「ビジネスコース」であり、受講は「フライトコース」を受けた方、もしくは操縦経験が10時間以上の方が対象となります。

 

――開校から約2カ月が経ちましたが、現状はいかがでしょうか?

 

樋山 お陰様で建築業や設備業の方を中心に、毎日のように問い合わせや申し込みが来ており、エリアとしては会津よりも中通りと浜通りからのお客様が多いですね。

 

ほかのスクールに比べても、本校ではドローンを飛ばせる時間は多く、また、受講生最大3人につき1人のインストラクターのため、マンツーマンに近い指導が行えるなど、講習内容が充実しているのも強みだと思っています。

 

■地方においてこそドローンの需要はある

 

――もともと御社は測量業を営んでいる会社ですが、今回、ドローンスクールの開校に至ったきっかけは何だったのでしょうか?

 

樋山 当社は会津若松市で平成3年に創業し、これまで測量・設計業務、施工管理などを行ってきました。ただ、近年は公共事業の減少や少子高齢化による深刻な人手不足、それに伴う人件費の高騰など、業界を取り巻く状況は悪化の一途を辿っており、特に我々のような地方の小さな会社ではこのまま行けばジリ貧になるという危機感を持っていました。そのため、何か新しい分野に挑戦しようと考えていたところ、将来性を感じたのがドローンなんですね。
測量業においてはドローンの空撮を活用することで、いまだ試行段階ではあるものの、それでも大幅な工期短縮とコスト削減につながります。そこで、震災直後ぐらいから会社にドローンを導入しようと考え始め、実際に導入したのが昨年暮れのことです。その際、社員がスカイロボットが運営する東京の「ドローンスクールジャパン」で研修したのをきっかけに、ドローン導入と同時にドローンスクールの開校も検討し始めました。
両者をセットで考えたのは、一つはスクールを通してドローンの最新の技術や法律等の情報が得られ、本業の測量にも生かすことが出来ると考えたからです。また、当社も東京で研修したように、地方にドローンスクールが少ない現状において、地元にドローンの文化が広まれば、地域経済の活性化にもつながっていけるのではという社会貢献的な意味合いもありました。

 

――最後に今後の展望を。

 

樋山 ドローンは建設や測量、物流、農業など、様々な分野での活用を期待することが出来ます。そして、中央よりも人口減少が進み、人手不足が深刻化している地方においてこそ、ドローンの可能性は秘められていると思っています。

 

当社が今回、猪苗代にドローンスクールを開校したのは、会津と中通りの両地域からアクセス出来ること、そして、ここが農業地帯であり、猪苗代湖や磐梯山などの観光資源が豊富にあることが決め手となりました。
ドローンの需要は、その地域ごとにより特色が顕著になっていくでしょう。そのため、現在は農薬散布などの農業用ドローンに可能性を感じているところなんですね。いまは企業のお客様がメーンとなっていますが、今後は「農業コース」を整備していくなど、将来的に地域の農家の方がドローンを学びに来てもらえるようしていきたいと考えています。

 

2020年までに産業用ドローンの操縦士は14万人が必要になるとも言われています。本校ではその担い手となる操縦士を育ていくとともに、県内はもとより、近隣県からも広く受講生を呼び込んでいきたい。将来的には観光の一つとして、県内外から多くの観光客が訪れ、マチの活性化につながっていければいいですね。

 

そして、本業の測量業においても、本校とドローンの技術を相互に共有しながら、更に発展することが出来ればと思っています。(聞き手・斎藤 翔)

 

■樋山秀樹代表取締役略歴

和29年7月8日、会津若松市生まれ。東北測量専門学校を卒業後、市内の測量会社での勤務のあと、平成3年に同社を設立した。現在、市内で夫人と2人暮らし。趣味はウオーキングとヨガ。公職では、福島県中小企業家同友会の会津エリア長、会津若松商工会議所議員を務める。

 

企業 DATA

 

創業:平成3年1月

 

所在地:会津若松市行仁町11-7

 

事業内容:造測量設計・調査業務、施工管理業務、許認可申請業務、地質調査業務

 

資本金:500万円

 

従業員数:23人

 

http://www.nanshin.aizu.or.jp/

 

(財界ふくしま2017年8月号掲載)

 

 


区切り

2017年7月1日

会津創苑株式会社

造園業の原点である
‟庭造り”に特化する

 

山岸正明代表取締役

 

■高い専門性とセンスが求められる庭造り

 

――まずは業務内容からお聞かせください。

 
山岸 当社は造園を営む専門業者として、今年で創業35周年を迎えました。これまで会津を拠点に、伝統的な技術、最新の施工方法をもって「四季折々の調和」と「10年、20年先の景観」を目指した施工を手掛け、現在は個人宅の庭造りと、公園や学校、街路樹等の造園工事、植栽管理をはじめとする公共の仕事を両輪としています。

 
――創業の経緯は?

 
山岸 会社を設立したのは昭和57年。高校を卒業後、浪人生だった時にたまたま都内の造園会社でアルバイトをしたことがきっかけでした。当時は特に造園業に興味があったわけでなく、単なる生活費を稼ぐために始めたのですが、生活空間をつくることが出来る造園の仕事にたちまち魅力を感じるようになり、自分の目指す造園会社をつくろうと、地元に戻っていまの会社を立ち上げたんです。もちろん設立当時は実績もありませんでしたから、公共工事を請け負うことは出来ませんでした。ですから、最初のうちは個人のお客様のみを相手に仕事を回していたのですが、施工したお客様からの紹介を通じて徐々に依頼も増えていき、順調に業績を伸ばしていくことが出来ましたね。

 
その後、公共工事にも携われるようになったわけですけど、これまで手掛けてきた庭造りから軸足を移すことはありませんでした。正直な話、採算性だけを考えると公共工事の方が仕事としてはいいのですが、造園の原点といえる、より専門性とセンスが求められる庭造りに強いこだわりを持っていたためです。

 
現在、庭木の剪定作業はやっても、当社のように竹垣や石垣、敷石きなどを通して庭全体のデザインと施工を手掛けているところは、会津でもそう多くないと思います。それだけに、庭造りの施工に特化していることは、当社の大きな強みだと考えています。

 
――震災後、除染をはじめとする復興事業があった中でも、それまでの庭造りを軸にした経営方針を変えることはなかったそうですね。

 
山岸 以前、除染関連の芝生の張り替え作業に携わったことはありましたが、自ら積極的に仕事を取るようなことはありませんでしたね。理由は、一時的にも復興事業に軸を置いてしまうことに、将来的な不安を感じたからなんですよ。
震災から6年が経ち、ここに来て復興事業が落ち着きを見せてきた中、それらをメーンとしていたところでは、現在、新たな受注確保への対応が迫られているのが実情です。かといって、復興以外の公共事業の見通しについても、私はそう明るくないと考えています。特に人口減少が進む地方においては、当然ながら公共物の新規施工の件数は減っていきますから、小さなパイを奪う形で今後更なる競争激化が予想されるからです。

 
これは、既存の植栽管理についても同様だと思います。新しく公園を整備しても、その後も維持管理する費用が継続的に発生しますよね。ですから、例えば年間の剪定の回数を減らしたり、もしくは植林の数を少なくしたりと、今後行政としても管理費の縮減により一層取り組んでいくことでしょう。

 
そうなると、公共工事が少なくなった分、個人宅の施工の比重は高まっていきます。ただ、庭造りの分野は高い専門性とセンスが求められるものであり、これは一朝一夕で始められるわけではないですし、仮に一時的にも休んでしまえば技術はすぐ錆びれてしまう。もちろん公共の仕事も大切ですけど、私が震災後もあくまで庭造りに軸を置いてきたのは、そういう理由があったからでした。

 
造園業における市場が縮小傾向にある中、今後は専門性をより一層高め、ほかとの差別化を図らなければ、特に我々のような小さいところではこの業界で生き残っていけない。私は、技術力の差が明確に反映される庭造りのノウハウこそが、ほかとの差別化が出来る最大の武器だと考えているんです。

 
■一軒の利益率は下がりながらも維持管理数だけは増加

 
――現在、個人の顧客についてはどのようなニーズが多いのでしょうか?

 
山岸 最近では、夏場の草刈りや剪定作業を少なくして欲しいなど、なるべく手間と管理費用が掛からない庭を望まれる方が増えています。また、核家族化が進んでたことで、特に若い世帯を中心に新築住宅の坪数が小さくなっており、それに伴い庭の規模も縮小しているんです。このように、公共工事と同じく個人のお客様についても、全体として庭に掛かる造園費用を抑える傾向になってきています。

 
つまり、一軒一軒における施工の利益率は下がってきているわけですが、その一方、個人で剪定作業が出来る方が少なくなってきたためか、庭の年間維持管理の依頼自体の数は増えているんですよ。そのため、いかに効率良く、かつ採算ベースに見合った形で仕事を受注していくのかが、今後の課題だと感じています。

 
そのほか、当社では業界内でも一早くホームページを立ち上げ、ここを見て依頼してくる方も増えてきています。やはり個人のお客様にとっては、実物を見なければイメージも沸きづらいですから、今後もこういったメディアも活用しながら営業に力を入れていきたいですね。

 
――今後の展望・課題についてお願いします。

 
山岸 技術力の向上と伝承を守っていくためには、若い人材の確保と育成がカギとなります。

 
当社では、従業員一人ひとりが社長であると意識してもらうよう、トップへの許可ごとをなるべく排除するなど、従業員に大きな裁量権を与えるようにしています。加えて、書類のペーパーレス化や事務作業の効率化を進めており、本業にそのリソースを十二分に充てられるよう努めているところです。

 
それぞれが責任感を持って自発的に動いていく。大きな変化の時を迎えている中、どのような事態にも対応出来る人材を育てていかなければならないと考えています。 (聞き手・斎藤 翔)

 

■山岸正明代表取締役略歴

 

昭和27年3月20日、会津若松市生まれ。会津高校を卒業後、東京都の造園会社でアルバイト経験し、帰郷後、市内の同業他社で3年間修業した後、57年6月に同社を設立した。現在、夫人と1女と3人暮らし。趣味はジャズ鑑賞。

 

■企業 DATA

 

設立:昭和57年6月

 

所在地:会津若松市石堂町9-43

 

事業内容:造園工事・土木工事・とび土工・石工事・樹木草花販売・緑化資材販売

 

資本金:2,000万円

 

従業員数:8人

 

http://www.aizusouen.sakura.ne.jp/

 

(財界ふくしま2017年7月号掲載)


区切り

2017年6月1日

神田産業株式会社

組立型ERをはじめ災害対策製品を開発
段ボール界のエキスパート

 

神田雅彦代表取締役

 

■設計・印刷における高い技術

 

──貴社の事業内容を。

 

神田 当社は、外装用段ボールの製造・販売をメーンに取り扱っています。これらは、お客様から寸法や印刷などのすべてをオーダー頂いて受注生産しています。商圏は半径100㌔㍍であり、取引先は隣県にまで及び、機械などの部品製造や農産物の販売を取り扱っているお客様が特に多いです。

 

──経営理念について伺います。

 

神田 「顧客に信頼される商品の提案・提供をし、知議・知恵を活かし、社業の発展と全従業員の物心の幸福を追求すると共に社会に貢献する」を経営理念とし、「信用と品質」「継続は力なり」を社是に掲げています。経営理念にある「社会に貢献する」を特に推進していますが、自分たちが不幸では社会に貢献出来ないとの思いから、まずは従業員が幸せを感じられる会社を目指しています。

 

──環境理念も掲げられています。

 

神田 当社は環境ISOを取得しており、地球環境保護が最重要問題であること、また、当社の製品と事業活動が環境と深く関係していることを認識し、地域の自然環境との調和と共生を基本理念として、事業活動のあらゆる面で環境の保全に配慮した活動を進めています。特に、過剰包装とならない適切な包装形態の提案に力を入れています。

 

──明治30年創業と、100年以上の歴史ある老舗企業です。

 

神田 創業当時は、須賀川市内で木材商として開業し、購入した材木を製材して販売をするうち、製材の過程で発生した端切れを利用した木箱を製造しました。明治43年には専売局須賀川分工場のたばこ製造開始と同時に、木箱の納入を開始し、昭和35年ごろには、木箱から段ボールに変わり、以来、段ボールの製造・販売を手掛けています。

 

一般的なオフセット印刷とは違い、段ボールに直接、パッケージなどを印刷しています。直接印刷では難しいとされる細部まできれいに印刷することが可能で、高い印刷技術の向上に取り組み、同業他社との差別化を図り、当社の製品ならではの付加価値を付けています。

 

また、中でも当社は、緩衝材や外装段ボールの設計をはじめ包装設計を得意としております。緩衝材においては、以前は加工のしやすい発泡スチロールが主流でしたが、昨今では社会的な環境への配慮が進んだことから、紙製の緩衝材が普及してきました。緩衝材を設計する技術は各社様々ですが、当社の技術はお客様の細かい注文にまで対応出来る設計技術がありますので、大変好評で、感謝状も頂いております。

 

──ER(救命救急室)など、災害時における避難所などで使用される段ボール製の災害対策製品も手掛けられていますね。

 

神田 ERのほかには、ロッカーや下駄箱、テーブル、棚などがありますが、これらに使用される段ボールは、外装用段ボールと構造が違います。軽さと強さの両立を目指して航空産業の中で発展を見せたハニカム構造を、紙でつくることにより、更に軽く、環境に優しいペーパーハニカムダンボールというものがあるのですが、当社では更に、ハニカムダンボールをマテリアルと考え、いままで主に梱包資材としてでしか使用していなかったハニカムダンボールを様々な製品に開発、生産を行うべく当社にてネーミングした材料である「ハニリアルボード」を使用しています。

 

ハニリアルボード製ERは、軽量であり、遮断性に優れ、組み立てに工具が不要、収納性に優れ、廃棄が容易であり、コスト優位性といった特徴があります。

 

──組立型ER誕生のきっかけは?

 

神田 東日本大震災後、福島県のふくしま医療福祉機器開発事業のサブテーマに「移動型ER」の項目があり、当社でも開発が出来るのではないかと思い、申請したところ採択され、平成26年度より3年間開発を進めました。既に、災害時に使用可能な製品化を実現し、販売を開始しています。これまで、災害時などにおける物資調達などに関する協定を、須賀川市、郡山市、福島県、天栄村と締結しており、今後も地域社会に貢献する活動を進めていきたいと思います。
海外需要もある組立型ER

 

──組立型ERは、熊本地震の際に避難所で使用されました。

 

神田 避難生活が続く環境下で感染症が発生した場合に、ほかの避難者への感染を防止するために、組立型ERの中で治療が受けられるように設置されました。また、使用されていない時には、更衣室や授乳室としても利用されました。これまでに福島県立医大の感染症対策ユニット、災害派遣医療チームの訓練機材、国際感染症センターでの感染症訓練機材などでも使用されています。

 

──昨年11月には、ドイツで開かれた世界最大級の医療展示会COMPAMED2016において、組立型ERの海外初出展を果たされました。
神田 初の海外出展ということで非常に心配はありましたが、実際に展示をしたところ、多くの方に興味を持って頂き、特に中東やアフリカの医療関係者からは、診察室が十分に整備されていない背景もあって、診察室として使用したいといった声も頂きました。初の海外出展でしたが、国内よりも海外の方が需要が多いのかなと感じました。

 

また、現在はドイツの医療関連企業2社から、ドイツで販売したいといった声も頂いているところです。具体的な話についてはこれからですが、今後、組立型ERが徐々に海外でも広がっていくことに、手応えを感じているところです。

 

段ボールの製造をメーンとしていますが、従業員は実際に自分たちがつくった製品が社会で、どのように役立っているのかを実感しづらいといったところがありました。そういった中、ERをはじめとした災害時などで使用される製品が、社会に貢献していることで、従業員が自分たちの仕事に誇りが持てる会社になっていければいいですね。最終的には、当社で働いて良かったと思える会社を目指していきたいと思っています。(聞き手・作間信裕)

 

■神田雅彦代表取締役略歴

 

昭和35年10月14日、須賀川市生まれ。須賀川高校、東京スクール・オブ・ビジネス経営学科を卒業し、57年に家業である同社に入社。専務や常務を経て、平成9年に現職へ就任。公職では、(公社)須賀川労働基準協会副会長、横山工業団地共栄会長、須賀川商工会議所議員などを務める。現在は須賀川市内で夫人と2人暮らし。趣味はスポーツ観戦。

 

■企業 DATA

 

創業:明治30年2月

 

所在地:須賀川市館取町22

 

事業内容:段ボールケース及び段ボール製品の開発・製造販売

 

資本金:2,160万円

 

従業員数:54人

 

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(財界ふくしま2017年6月号掲載)

 

 

 


区切り

2017年5月2日

株式会社フルーツファームカトウ

本物志向の果物とシードルで
日本一を目指していく

 

加藤修一代表取締役

 

■こだわりの農法で“吟壌”ブランドを確立

 

――フルーツファームカトウで生産する「吟壌」ブランドの果物は、全国に多くのファンを持つ人気商品となっていますね。

 

加藤 吟壌の〝壌〟とは土壌の〝壌〟という意味で、商標登録も行っている当園独自のブランドです。土壌が良くなければ品質の高い果物はつくれないというコンセプトの下、長年にわたり化学肥料を使わず有機肥料のみで作物と土壌を育てる「酵素農法」にこだわり、いまから8年ほど前にこの「吟壌」ブランドを立ち上げました。現在は栽培するサクランボ、桃、リンゴに、それぞれ「吟壌さくらんぼ」「吟壌桃」「吟壌りんご」と名付け、贈答品として県内はもとより全国のお客様に販売させて頂いているところです。

 

「吟壌」の一番の特色は、味が濃く、甘みと酸味のバランスが優れている点ですね。甘みがあると言っても決して人工的なものではなく、柔らかく、さわやかな自然の甘みが表現出来ています。また、食感も非常に大事にしており、当園のリンゴは固くも柔らかくもなく、水分がはじけるような後味の良い食感になっています。

 

果樹栽培において基本となるのはやはり土壌です。当園では、生きた土壌をつくるため化学肥料は一切使用せず、魚粉や米ぬか、カニガラ、海藻などを発酵させたボカシ肥料と呼ばれる有機肥料を使用してきました。このことで果物が持っているポテンシャルを最大限引き出すことが出来、中でもリンゴに関しては、ほかには負けない日本一のレベルにあると自信を持って言える商品となっています。

 

――化学肥料を使わない農法に取り組むようになったきっかけは?

 

加藤 私は福島市大笹生の果樹農家の長男に生まれ、大学卒業後、家業を継ぐため戻ってきたのが、いまから30年ほど前になります。ちょうどそのころは、宅急便を利用した果物の贈答品が盛んになってきた時で、当時においても贈答品で売るのとJA出荷とでは3分の1か4分の1ぐらい単価が違っていました。しかし、私の父はそういった贈答品には手を出さず、昔ながらのJA出荷一本でやっていたんです。ですから、私が家業を継いだ時はもちろん贈答品はゼロでしたし、いざ始めようにも既に市場は飽和状態になっていて、会社や団体などの大口の顧客は最初に始めた農家が抑えている状態でした。

 

そこで、新たに顧客を獲得するには品質の高い果物で勝負するしかないと考えたんですね。この一帯には果樹農家が2500軒ほどあるように全国有数の果樹園地帯です。その中でみんなと同じやり方をしても商売にはなりませんから、まずは基本となる土づくりから始め、ほかを圧倒的する高品質の果物を作り、自分のブランドを確立しようと。

 

当時、化学肥料を使わない農法を実践しているところは県内でもほとんどありませんでした。そのため、誰にも教わることが出来ず、ほとんど独学で手法を確立していったんです。また、果物の収穫は1年に1回ですから少しずつ土壌を改良しなければならず、理想とする土壌を完成させるには長い年月を要しました。最初の20年間は暗中模索の毎日で、納得が出来る果物を収穫出来るようなったのは、平成18年ごろだったと思います。私が家業を継いだ時には市内のお客様がほとんどでしたが、そこから徐々に口コミが広がっていき、いまでは県内2・県外8ぐらいの割合になっています。

 

 

■「吟壌りんご」から最高級のシードルを

 

――最近ではシードル(リンゴ酒)の分野にも力を入れていますね。

 

加藤 シードルを始めたのは、震災と原発事故を経て、いままで通り果物の販売のみでは将来が見通せないと感じたからでした。また、将来的には自家レストランを経営したいと考えており、そこで提供する自社製品のお酒の開発が必要だったのも大きかったと思います。

 

具体的に始めたのは26年の暮れで、自分でレシピを作って醸造所に委託製造してみたところ、これが非常においしく試験的に作った1000本のシードルは瞬く間に完売することが出来ました。そのため、翌年は本格的に3000本分のシードルを製造しようと同じ醸造所にお願いしたのですが、これが大失敗で。(笑)腐敗臭がするシードルが出来てしまい、約3㌧のリンゴを無駄にしてしまいました。

 

3度目の挑戦となる今回は、仙台と長野の醸造所で中期熟成のシードルが1種類、長期熟成のシードルが皮ごと醸した辛口と、ジュースだけにして醸した甘口の2種類、合わせて3種類のシードルを仕込んでいるところです。そのうち、もう間もなく完成する中期熟成のシードルは4月中、長期熟成のシードルは7月中の販売を予定しており、販売先は地元のレストランやホテルのほか、ネット販売を考えています。

 

――最後に今後の展望をお聞かせください。

 

加藤 シードルはワインや日本酒と比べて下に見られがちですが、いま世界的に見てもシードルの人気は年々高まってきています。一方で国内においては、贈答品にはならない余り物のリンゴで醸造しているところもあるのですが、我々が目指しているのはこれとは全く逆です。贈答品にも使えるものを原料に、特徴ある「吟壌りんご」の味をしっかりと表現した最高級のシードルをつくり、いずれは世界に打って出ていきたいですね。

 

また現在、シードルは委託製造をしていますが、将来的には自分の農園に醸造所を設け、果樹栽培とともに自家醸造のシードルを事業の柱にしていく。そして、いずれは自家レストランを通して当園の果物とシードルを提供していければと考えています。

 

当園の強みは、常に本物を提供してきたことだと思っています。ですから、変に儲けようと思って、例えばシードルを製造する際、ほかのリンゴを入れて量をごまかそうとすれば必ず信用を失うことになります。本物志向をもってお客様にお届けする。このコンセプトを変えることなく、地味ですけど、毎年少しずつでも成長していければと考えています。(聞き手・斎藤 翔)

 

■加藤修一代表取締役略歴

 

和36年9月24日、福島市生まれ。東京農業大学を卒業後、実家の果樹農家を継ぎ、昨年1月に同社を設立した。現在、市内で母、夫人と3人暮らし。趣味は食べ歩き。

 

 

■企業 DATA

 

設立:平成28年1月

 

所在地:福島市大笹生字水口50

 

事業内容:果樹生産及び果実酒の販売

 

資本金:200万円

 

従業員数:4人

 

http://farmkato.jp

 

(財界ふくしま2017年5月号掲載)

 

 

 

 


区切り

2017年4月1日

株式会社ダイテック

新たな工法の開発に努め
業績を拡大

 

 

鈴木裕一代表取締役

 

 

■時代に先駆け「ラーメン接合」を開発

 

―まずは事業内容から伺います。

 

鈴木 当社は木造フレーム(骨組み)工事を設計から施工まで一貫して手掛けており、主に大きい間取りが必要な大型建築物、具体的には学校や体育館、幼稚園などの〝非住宅〟の分野を得意としています。現在は、いわき市を拠点に東北から関東、北陸ぐらいまでのエリアをメーンとしていますが、そのほか北海道や九州などでも施工させて頂いているところです。

 

――木造でありながら鉄骨やRC造(鉄筋コンクリート造)のような大空間の間取りを可能にした「ラーメン接合」や、強度と剛性をより強固にした「高倍率耐力壁」を開発するなど、その施工技術は高い評価を受けていますね。

 

鈴木 もともとは㈱赤井製材所という会社で製材の販売をしていたのですが、新たにフレーム工事の分野にも参入しようと平成3年に設立したのが当社になります。
当時、製材の販売はほとんどが住宅用であり、広い空間が必要な非住宅の分野は鉄骨やRC造がメーンでした。なぜかと言えば、木造は柔らかい材質なのが良さの一つなんですが、その特徴ゆえに木と木の接合部分は多少の揺れが生じてしまい、構造体の耐震性を強めるため柱と柱の間にブレース(筋交い)を入れる必要があったからなんです。

 

一方で鉄骨やRC造ではしっかりと軸を固定するため木造と比べ揺れが少ない。ですから、そもそも小部屋が多い住宅についてはブレースがあってもさほど気にはなりませんでしたが、大型建築物の世界に入った途端、間取りの面からデザインの制限が多くなり、昔はほとんどが鉄骨やRC造だったんですよ。

 

それで、木造でも大型建築物がやれるんだというのを証明したくて開発したのが「ラーメン接合」になります。木造ながら鉄骨やRC造に近い接合を可能にした工法で、従来のものより柱や壁を取らなくて済み、木造建築の可能性を拡げることが出来ました。

 

当社が「ラーメン接合」を開発したのはいまから20年ぐらい前。現在、木造ラーメン工法を手掛ける会社は多くなりましたが、我々が開発した当時は業界でもあまりいなかったと思います。ただ、いまでは木造の大型建築物は当たり前のようになってきていますが、建物に採用されるには実績がないといけませんから、10年近くは認知されず全くダメでした。そのため、いつかは芽が出ると信じて役所や設計事務所へ売り込みに行く毎日でしたね。

 

――御社で手掛ける「ラーメン接合」の特徴は?

 

鈴木 当社の「ラーメン接合」は、接合に大径ボルトを使用しているため、建物を解体した際、リサイクルをしやすいという利点があります。また、簡単で作業効率が高いため、品質管理も容易となり大幅な工期短縮が出来ることです。
実はこの「ラーメン接合」は非常に高度な技術なんです。そのため、この技術を一番初めに開発したことで会社全体のスキルアップにつながり、その後、ほかの技術開発をする際の大きな後押しになりました。

 

同じ木材を扱っているとはいえ、製材から建築と全く違う業態への挑戦でしたから、何事も一から勉強でそれはもう大変でしたよ。ただ、幸いにも優秀な従業員に恵まれたことで、ここまで何とかやってこれたと思っています。

 

現在、資材会社である㈱赤井製材所とフレーム工事を設計から施工まで行う当社がうまく連携出来ており、激しい競争の中でもコストや工期の面で大きな強みになっていると思っています。

 

■木造建築の良さを普及していく

 

――木造フレーム工事のほか、ログハウスにも力を入れていますが、震災後、他社と共同で建設したログハウス仮設住宅は、平成24年グッドデザイン賞で金賞を受賞しました。

 

鈴木 ログハウスについては震災前から細々とやらせて頂いていましたが、震災が起きた際、本県の木材で何か出来ないかと思い、県内の同業社と協力して最終的には550戸の仮設住宅を建設しました。お陰様で自動車などの近代的な産業ならいざ知らず、木材産業でグッドデザイン賞を頂いたことは大変驚きましたし、うれしかったですね。

 

現在、当社の事業はフレーム工事がメーンとなっていますが、今後ログハウスの需要は更に伸びていくと見込まれていますので、いずれは事業の柱の一つにしていきたいと考えています。

 

――最後に今後の抱負をお聞かせください。

 

鈴木 これまで当社では、日本農林規格(JAS)の認定を受けた大径国産杉の大断面製材の可能性を広げるため様々な開発を行ってきました。現在、日本では戦後に植林した人工林の伐採期に来ているところですが、細い木材であれば柱などに使えるものの、太くなってしまった木材についてはあまり使い道がなく、細かくして集成材などにしてしまっているのが現状です。

 

そのため、無垢の木材を利用し、更には林業県である福島の山林の活性化につながっていければと、平成25年には300㍉×390㍉×長さ8㍍までの国産杉の無垢大断面製材がJAS認定を受け、大径杉の流通を拡大させる第一歩を踏み出すことが出来ました。

 

現在では、更に390㍉×240㍉×長さ9・5㍍の規格を申請しているところで、震災後、本県の木材は大きなハンディキャップを抱えている中、この規格を全国に広めていき、国産材、ひいては本県材の魅力を伝えていければと考えています。木造は、鉄骨に比べ大幅なCO2排出量削減効果が得られるほか、リサイクルや省エネルギー、省資源といった環境面においても非常に優れている建築物です。

 

いま時代は鉄骨から木造へと移ってきています。今後も木造の大型建築物は堅調に伸びていくことが見込まれますので、鉄骨やRC造に負けないよう、新たな工法の開発に取り組み、技術的な裏付けをもって木造建築の素晴らしさを普及していきたい。そして、将来的には海外へも挑戦していければと考えています。(聞き手・斎藤 翔)

 

 

 

■鈴木裕一代表取締役略歴

 

昭和23年1月27日、いわき市平生まれ。平工業高校を卒業後、東京都の製材会社に2年間勤務し、その後、家業の㈱赤井製材所に入社した。専務取締役を経て平成元年に代表取締役となり、3年に同社を設立した。公職では、協同組合いわき材加工センター理事長、福島県木材協同組合連合会副会長を務める。現在、市内で夫人と2人暮らし。趣味はゴルフ。

 

 

■企業 DATA

 

設立:平成3年9月

 

所在地:いわき市小川町下小川広畑16

 

事業内容:大型建築用構造用集成材の加工及び建築工事・ログハウス建築及び販売

 

資本金:4,000万円

 

従業員数:10人

 

http://www.daitec-wood.co.jp

 

 

(財界ふくしま2017年4月号掲載)


区切り

2017年3月1日

有限会社峰の雪酒造場

世界初の

ミードワインを発売

 

佐藤利也代表取締役社長

 

■順調な出だしとなったミードワイン

 

――昨年11月、マスターソムリエの高野豊さんと開発を進めてきた「Meed&Wine(ミードワイン)」が完成し、県内では福島市の中合福島店で販売が始まりました。蜂蜜の醸造酒「ミード」と白ワインをブレンドしたミードワインの販売は、世界でも初めてということで話題を集めていますね。

 

佐藤 もともと当社では、平成20年からミード「AIZU MEAD・美禄の森」を販売していました。原料には会津特産の「栃の花の蜂蜜」を使用し、現在では大手百貨店や高級レストランなどを中心に、全体の売り上げの4分の1を占める主力商品の一つとなっています。

 

今回発売したミードワインは、このミードと長野県産のナイアガラ白ワインをブレンドさせたもので、ミードの甘さと白ワインの酸味がうまく調和したフレッシュな香りと味わいが特徴です。そのため、一般的に甘みのあるミードは食前酒や食後のデザートワインのような飲み方になりますが、ミードワインは食中でも飲まれている方が多いようです。

 

現在、小売りについてはイオンさんだけに納めており、イオングループである中合各店やイオン店で販売させて頂いています。お陰様で評判も良く、発売から1カ月余りで1500本以上を売り上げるなど順調な出だしとなっています。

 

また、小売りはイオングループの専売となっていますが、当社から直接販売するのはその限りではありませんので、会津の温泉旅館や料飲店などでも売り上げを伸ばしているところです。

 

――ミードワインを開発した経緯をお聞かせください。

 

佐藤 ミードワインの開発は、昨年6月ごろから進めてきました。共同開発した高野さんとは、当社がミードの販売を始めた時からの付き合いで、当時からミードのことを高く評価してくださっていました。

 

ミードについては、品質には自信を持っていたのですが、高級な原料を使用しているため値段も高く、なかなか一般消費にはつながっていませんでした。そこで、高野さんにリーズナブルな価格で広く飲んでもらうにはどうしたらいいかと相談したところ、「白ワインとブレンドしたらどうか」と言われ、早速、白ワインとブレンドしてみたら大変おいしく、これはいけると―。

 

お世辞かもしれませんが、高野さんも「この1年で飲んだワインの中で1番か2番目ぐらいおいしい」と後押して頂き、試行錯誤の末、昨年11月に世界初のミードワインが完成しました。高野さんにはワイン会社を紹介して頂き、また彼はイオングループのアルコール部門の顧問を務めていたことから、懸念だった流通についてもイオンさんと話を進めることが出来ました。

 
■“オール福島”のミードワインを目指す

 

――ミードワインの今後の展望は?

 

佐藤 世界的に見てもミード自体珍しく、いま製造している会社は国内で6社、海外でも500社ぐらいしかありません。ましてミードワインは世界でオンリーワンの商品ですので、もっと多くの皆さんに届けていきたいですね。そのため、値段は1本375㍉㍑・1080円と、ある程度の量を見込んでの価格設定にしています。いまはイオングループの全国10店舗ほどで販売していますが、もちろんイオンさんの考えもありますけど、当社としては取り扱い店舗が増えていくことを期待しているところです。

 

そのほか、次のステップとしては赤ワインとのブレンドも考えています。赤と白のミードワインがセットとなれば、贈答品としてもいいですよね。また、いま県内ではワインの産地化を目指す動きがありますので、地元のワイン醸造所と連携した〝オール福島〟のミードワインを世界に発信していければと考えています。

 

――長年にわたり普通酒をメーンにしていましたが、近年ではミードや特定名称酒に力を入れ、売り上げを順調に伸ばしていますね。

 

佐藤 当社は本家の大和錦から昭和17年に分家した酒蔵です。法人化したのは30年になりますが、大和錦の第2工場から始まり、大和錦は地元向け、当社では東京向けに普通酒を製造していた経緯から、当初お得意先は東京の小売店1つしかありませんでした。

 

ただ、日本酒全体の消費低下もそうですが、特に普通酒の需要は年々落ち込み、このままでは先細りになることは自明でした。そのため、高付加価値、高級酒の経営に移行しようと考えていた矢先に、ちょうど㈲ハニー松本養蜂舎(本社・会津若松市、松本吉弘社長)さんからミードの製造依頼を受けたんですね。お話を頂いたのは確か平成13年ごろだったと思いますが、当時は梅酒がはやっていた時でしたから、面白いからやってみようと。開発には7年ぐらい掛かりましたけど、飲んでみて「これで勝負出来る」と確信しましたね。

 

また日本酒については、息子(健信氏)からの提案で、これまでの普通酒から純米酒などの特定名称酒に移行することにしました。息子が帰ってきたのは平成22年ですから、特定名称酒に取り組むようになったのはかなり遅い方だったと思います。現在、ミードは私、特定名称酒は息子が担当していて、お互い口は出していません。(笑)

 

日本酒もここ最近、評価を頂いているようで、普通酒の売り上げが減った分、県内での特定名称酒の売り上げは増えており、割合は全体の4割弱ぐらいまで特定名称酒が占めるようになってきました。

 

――今後の抱負を。

 

佐藤 今回のミードワインを通じて、原料のミードはもちろん日本酒の方にもいい影響が出てくることを期待しており、将来的には特定名称酒とミード酒・ミードワインの2本柱でやっていきたいですね。

 

ミードについては現在、国内外から委託製造の依頼も来ており、これまでの蜂蜜の発酵技術を生かして、そちらの事業も展開出来ればと思っています。更に、今後の需要を考えればいまの施設では間に合いませんですので、タンクの増設を含めて増産体制を構築していければと考えています。

(聞き手・斎藤 翔)

 

■佐藤利也代表取締役社長略歴

 

昭和33年4月21日、会津若松市生まれ。会津高校を卒業後、専修大学に入学。61年に婿養子として信子夫人と結婚し、同社に入社。義父の先代・善久氏の下で酒造りを学びながら、平成2年2月に現職に就任。現在、喜多方市内で父と夫人、1女と4人暮らし。趣味はゴルフ。公職では(一社)日本ミード協会専務理事を務める。

 

■企業 DATA

 

創業:昭和17年

 

事業内容:清酒・その他の醸造酒の製造

 

資本金:500万円

 

従業員数:4人

 

http://minenoyuki.com/

 

(財界ふくしま2017年3月号掲載)


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