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あの味この味 区切り

2018年10月1日

有限会社エスク(E.S.Q)

パイプの「少量多品種」製造で
医療分野に技術力をアピール

 

高畠伸幸 代表取締役

 

■難しい要望を引き受けることで実績を作る

 

――まずは創業の経緯からお聞かせください。

 

高畠 もともとは、テレビに内蔵されているブラウン管部品を製造する東京の工場に勤務していたのですが、工場が福島に移転することになって、一家でこちらに居を移しました。

 

工場では製造部と開発部の責任者を兼務していましたが、事業が転換されることになってしまいました。その機会に会社を退職して、いままで培った技術を基に現在の会社を立ち上げたのが創業に至る経緯です。最初は従業員4人からスタートしました。

 

――御社の業務をお聞かせください。

 

高畠 様々な素材や形状の金属パイプの製造です。直径0・2㍉以下の世界最小径とされるパイプや、ステンレスをはじめとして、チタンなどのレアメタルを使ったパイプも製造しています。

 

具体的に使用されている製品は、自動車のブレーキや内視鏡などの医療機器など使用されています。内視鏡では、国内大手3社(オリンパス、富士フイルム、HOYA)が、当社の部品を使って頂いています。

 

また、血管などを拡張する網目で筒状の機具「ステント」の素材も製造しています。取引先も、国内の自動車・医療メーカーだけでなく、ヨーロッパ、アジア、アメリカなど世界に広がっています。

 

――会社の強みはどうのような点だとお考えですか?

 

高畠 私たちは大手のパイプ屋さんが断っていた素材や加工の難しい仕事を請け負ってきました。そこで当社の技術を知ってもらい、本番の製品受注に結び付けてきたのです。

 

お客様から持ち込まれたご相談に、最初からお断りしたことはありませんね。(笑)求められているものを作り出すための試行錯誤が、私たちにしか出来ない技術の蓄積につながっていると考えています。

 

そうして出来上がったものに納得してくださった実績が、お客様がお客様を呼び、国内外へ広がりを作ってくれたのだと思います。

 

中国の工場へ技術指導のために呼ばれて現場を見せてもらいましたが、大量生産の面では、日本の製造業に到底勝ち目はないと感じました。

 

私たちの目指すべきものは、いかに高い技術を駆使して幅広い依頼に対応出来るか「少量多品種」で勝負するかが、ポイントだと痛切に感じました。

 

海外のお客様とのつながりは、県の後押しでドイツで開かれる世界最大の医療機器の展示会に出展したことがきっかけです。

 

国内では大手メーカーさんとの取り引きもあって当社への評価は理解していたのですが、海外での評価は未知数でした。ですから社員にも「社長の道楽で、出展を3年続けさせてくれ」と頭を下げましたよ。(笑)1回お顔を合わすだけじゃ、関係が築けませんからね。

 

最初はパンフレットも手作りでお恥ずかしい内容の展示でしたが、それでも県の共同ブースで名刺の獲得数は当社が一番でした。

 

医療分野でも使用出来る精密な加工で、素材分野を問わないパイプ製造を少量多品種で引き受け、おまけに切断など二次加工も出来るパイプ屋は「世界中探しても、お前たちぐらいだ」と海外からも評価を頂き、自信につながりました。

 

■卓越した技術を生かせる医療分野へ挑戦し続ける

 

――現在、力を入れておられる業務はありますか?

 

高畠 医療機器の部品に特に力を入れています。今年の売上全体では医療分野が、約7割を占めるほどに成長しています。

 

医療分野に力を入れるきっかけとしては、リーマンショックがありました。以前は自動車部品や半導体の部品を製造していましたが、納入の催促があった翌日に突然の出荷停止ですからね。驚きしかありませんでした。

 

そんな苦い経験の中で分析してみると、医療分野は景気に左右されず一定の需要が求められていることが分かりました。そこから5カ年計画で、医用分野の売上を50㌫増にする目標を打ち出しました。

 

社員に言っていたのは「医療分野で飯を買って、おかずはほかの分野で買おう。おかずは特上ウナギになる時もあれば、生卵かもしれない」と。(笑)

 

もちろん、医療分野以外も私たちには大切な仕事です。お客様に求められる物を実現させる過程が大切なのです。もちろん失敗もあります。その中から当社だけしか持ち得ない大切な経験が生み出されると思っています。

 

私たちは、特段高額な精密加工機を使っているわけではありません。各従業員の経験や工夫が当社の財産なんです。多品種を扱うことは、私たちの強みを研鑽出来る貴重な機会なのです。

 

――最後に今後の抱負を。

 

高畠 これからも当社の強みになっている医療分野の開拓を更に進めて、海外でも当社を知ってもらいたいですね。

 

社員には「提示した値段が通るようにしよう」と言っています。私たちの技術が世界に唯一なら、それは可能ですよね。日本の製造業の生き残る道は、町工場の職人さんのような経験の中で磨かれた技術にあると思います。

 

私たちの世代にも責任があると思いますが、製造業はあまりにもマニュアル化され過ぎて「非認知能力」(人間として生きていく力)を育てることが出来ない環境になってしまっていると感じています。私が現場で働いていた若手の時に、職人さんの技術を機械化する過渡期の最後を経験出来たことは、とても幸運でしたし、人としても成長させてもらいました。そんな経験を若い技術者にも、体験出来る場があればいいと思います。

 

先ほど当社の製品例に挙げたステントも、人体に時間を掛けて同化する負担の少ないマグネシウムの機具が、海外で臨床実験されています。そんな医療が進化し続ける中だからこそ、ますます日本の職人が培った技術への需要が、海外でも高まると思っています。(聞き手・江藤 純)

 

■高畠伸幸代表取締役略歴

 

昭和34年2月13日、東京都生まれ。埼玉県立浦和工業高校卒業後、25歳でパイプ製造会社に勤務、製造部兼技術部の責任者の立場でパイプ製造のエキスパートとして辣腕を振るう。会社の事業転換を機に退職し、平成12年に㈲エスクを創業、現在に至る。西郷村在住で夫人と1男2女の5人暮らし。趣味はエレキギター。好きな音楽はハードロック。ストレス発散も兼ねて自宅やスタジオを借りて演奏する。

 

■企業 DATA

 

設立:平成12年

 

所在地:西白河郡矢吹町一本木162-3

 

事業内容:精密細管(電子・医療部品)の製造及び2次加工

 

資本金:1300万円

 

http://www.e-s-q.jp/

 

(財界ふくしま2018年10月号掲載)

 

 

 

 


区切り

2018年9月1日

いわきユナイト株式会社

いわき初の地域商社として
食の価値と流通を創り上げる

 

田子哲也 代表取締役CEO

 

■結果的に6次化にする

 

――いわき市初の「地域商社」として平成28年に設立されましたが、具体的にどのような会社なのでしょうか。

 

田子 当社はいわきを中心とした県内の地域資源を活用して食の価値と流通をつくることを目的に、現在は地元の生産者や食品メーカーと連携した商品プロデュース・ブランディングをはじめ、出口ありきの「売れる商品」の開発支援と販路開拓、農林水産業の儲かるモデルの構築などに取り組んでいます。特にマンパワーに限りがある中小企業においては「社長兼営業マン兼工場長」といったケースも多く、そういった中で大変な労力となる商品開発に取り掛かることはなかなか難しいのが現状です。そのため、当社では食品メーカーと一緒になって会社の強みを生かした商品開発や既存商品の価値を高めていくとともに、商社として市内や首都圏を中心に販路開拓を行うなど、皆さんが生産に専念出来るようその助けとなる事業を行っています。

 

――出口ありきの商品開発とは?

 

田子 一般的に6次化というと、生産(1次)→加工(2次)→流通・販売(3次)という流れで進んでいくものですが、多くの皆さんは商品をつくったあとの〝出口〟の部分で躓いてしまうケースが多い。そのため、当社では販売から先行していく3次→2次→1次という逆からのアプローチをしているんです。

 

売れる商品を開発し、販売先に働き掛ける。そして、原料についても加工するのが地元メーカーであれば、〝最初は〟地元産にこだわっておりません。この方法では生産が一番最後になってしまうものの、商品をたくさん売り上げることで年間の生産量をしっかりと固め、結果的には生産者に安定した依頼をすることが出来る。私はこれを「結果的に6次化にする」と言っています。

 

――御社は田子さんと植松謙(代表取締役COO)さんとの共同代表で経営を行っていますが、それぞれの役割はお聞かせください。

 

田子 当社はもともとは中小企業診断士である植松が立ち上げた会社で、昨年9月にいわき信用組合さんなどが運営に携わる「岩城国地域振興ファンド」からの投資を受け、この地域商社事業が本格化しました。私が共同代表者として加わったのもその時で、いまもそうですけど私自身、市内で食品卸売会社を経営していたため、取引先だった信組さんから流通の専門家として参画して欲しいという話を頂いたんですね。現在は、事業内容の診断や補助金関係の手配、各種団体との連携などを担当する植松に対し、私は専ら営業マンとして商談等を担当しています。

 

■会社の強みを前面に出す必要はない

 

――御社でプロデュースした㈱いわき遠野らぱん(いわき市、平子佳廣社長)の「月色プリン」が大好評のようですね。

 

田子 いわき遠野らぱんさんはレトルト食品のOEM(他社ブランド商品生産)を得意とする会社で、その製造技術は全国でも高く評価されているのですが、OEMは自分で生産をコントロール出来ないため、売り上げの中心となる自社ブランドの開発に取り組んでいました。そういった中で当社に相談があり、これならばとプロデュースしたのが「月色プリン」だったんですね。

 

このプリンの一番の特徴は、常温で4カ月持ち、しかも食感がなめらかだったこと。ただ、それまで商談会では高い評価を受けていたものの、実際の売り上げには直結していなかった。なぜかというと、消費者にとってそれはあまり関係ないことだったからなんです。

 

そこで当社で行ったのが、原料に使っていた酪王牛乳さんに許可を頂き、パッケージに「酪王牛乳使用」という文言を入れるとともに、それまで微量に入っていた「コラーゲン」を1000㍉㌘まで増やしたことでした。いま話題の酪王牛乳とコラーゲンたっぷりという2つのワードを前面に打ち出すことで、消費者にとって魅力的に映るよう再ブランディングしたんです。

 

ただ、このプリンは1個400円以上もするため、たとえ欲しくなったとしても家に持ち帰ったり、人にあげる途中で傷んでしまったらとリスクの方を気にしてしまいますよね。その時にやっと強みとしていた「常温で4カ月持つ」につながるわけなんです。

 

――高級だからこそ、消費期限や冷蔵を気にせず安心して持ち帰られるのは大きな武器になりますね。

 

田子 ですから、強みは何でも前面に出せばいいかといえば実際そうでもなく、最終的につながればいいわけです。また、販売に当たっては 「手土産」をキーワードにサービスエリアを中心に販路開拓を進めていきました。普通のプリンと並べると高く感じてしまいますが、一方でサービスエリアで3個1200円で買えるとなると、手土産としては逆に安いと思えますからね。

 

月色プリンは、当社がプロデュースするまで1カ月で600個ぐらい売り上げていましたが、お陰様でいまは5000個にまで伸ばすことが出来ました。目標としては今年中に月1万個、最終的には2万個を目指しているところです。

 

――最後に今後の目標を。

 

田子 月色プリンとともに、当社でプロデュースしている地元産の野菜や果物を中心に使った和風ピクルス「おここさん」の更なる販売促進をはじめ、将来的にはパパイアプロジェクトを立ち上げる予定です。

 

本来、地場産品を外に発信するのが当社の目的なんですが、このプロジェクトでは市内で栽培したパパイアを外ではなく、地元で消費しようというものになります。「フラのまち」のいわきでは、南国のパパイアが食べられる。このパパイアをキーワードに、市内の観光業や飲食業などの異業種との連携を深めていきたいですね。

 

また、パパイアにはがんの抑制や健康に非常にいいとされる「パパイン酵素」が含まれています。いわきでパパイアの食文化を広めていき、将来的に原発事故があったけど、いわきには健康な人が多いねと言われるようになれればと思っています。(聞き手・斎藤 翔)

 

■田子哲也代表取締役CEO略歴

 

和44年3月9日、いわき市生まれ。四倉高校を卒業後、市内の㈱マルトに入社。食品メーカーに転職した後、平成24年に食品の卸売業を営む㈱T-Advanceを設立。29年8月に共同代表者として同社に参画した。現在、市内で夫人と子供3人の5人暮らし。趣味はトランペット。

 

企業 DATA

 

設立:平成28年8月

 

所在地:いわき市平字田町120 LATOV6F P3

 

事業内容:いわきを中心とした県内の地域資源を生かした商品のブランディング・プロデュース、農水産物・農水産加工品の卸売・小売、企業・店舗に対するコンサルティング

 

資本金:1,100万円

 

従業員:3人

 

(財界ふくしま2018年9月号掲載)


区切り

2018年8月1日

株式会社元気アップつちゆ

温泉観光ならぬ
産業観光で土湯のにぎわいを

 

加藤勝一代表取締役社長

 

■土湯の自然を生かした発電事業

 

――まずは事業内容からお聞かせください。

 

加藤 当社は、震災と原発事故によって被害を受けた地元・土湯温泉町の復興再生と震災前を超えるにぎわいを取り戻すことを目的に、平成24年に地元資本により設立されたマチづくり会社になります。現在、土湯温泉の自然エネルギーを生かした再生可能エネルギー事業に取り組んでおり、具体的には温泉を利用したバイナリー発電と町内を流れる河川を利用した小水力発電が主たる事業となっています。

 

バイナリ―発電は地熱発電の一種ですが、地熱発電というと一般的に地下深く掘削するフラッシュ式をイメージされる方もいるかと思います。しかし、当社が行っているバイナリー発電はフロンやペンタンなどの沸点の低い有機媒体を温泉の熱交換によって蒸発させてタービンを回す仕組みで、地下からの蒸気や熱水で直接タービンを回すフラッシュ式とは全く異なる方式です。また、蒸発した媒体は再び発電に利用するため、湧き水で冷却し液体に戻すことになるのですが、あくまで熱交換するだけですので温泉、湧き水と直接触れ合うことはありません。ですから、発電量ではフラッシュ式に劣るものの、バイナリー発電の場合、温泉の温度が若干下がるほかは湯量、成分ともに何ら変わることはなく、自然環境に負担を掛けずに発電出来るのが大きなメリットとなっています。

 

現在、利用している「16号源泉」は蒸気と熱水を合わせた温度が140度近いことに加え、流量は一時間当たり約37㌧と豊富にあるため、当社が使っている沸点30度のノルマンペンタンであれば一瞬にして蒸発することが出来ます。その際の気圧は10気圧以上に達しますが、もともと16号源泉で噴き出している気圧が約3・5気圧であることを考えると、相当なエネルギーを生み出していることが分かるかと思います。

 

国内的にも400kW級で商業運転を行っているバイナリー発電所は珍しく、現在は一般の約800世帯に相当する年間260MWhの電力を発電しています。発電機の設備に約6億円の費用が掛かりましたが、売電収入は年間約1億円に及ぶためこのまま順調にいけば7年以内には償却出来ると思います。

 

また、小水力発電では東鴉川の第3砂防堰堤の落差を利用した140kW級の発電所が稼働しているほか、これら発電事業以外では、かつて市内荒井地区の特産品であったこんにゃくの製造と加工、販売を行う「こんにゃく工房金蒟館」の運営や、最近ではバイナリー発電後の熱水を2次利用した養殖事業にも取り組んでいるところです。

 

■エビを土湯の特産品に

 

――昨年5月から始まった養殖事業では、現在50㌧の大型水槽で約3万匹のオニテナガエビを養殖されているそうですね。

 

加藤 オニテナガエビは東南アジア原産の大型種で、このエビを「つちゆ湯愛(ゆめ)エビ」と名付けて産卵孵化から繁殖までを一括して実施する完全養殖で行っています。エビの養殖は水槽の水温管理に多大な光熱費が掛かるため、国内でもなかなか養殖が進んでいないのが実情です。当社ではバイナリー発電後の温泉水と冷却水を掛け流しで利用することで、そのコストを軽減させています。出荷に適した親エビに成長するまでには半年ほど掛かり、現在は1カ月当たり約1500匹を出荷しているところです。

 

――今年4月には養殖したオニテナガエビの釣り体験が出来る釣り堀がオープンしました。

 

加藤 営業は週末の土日になりますが、お陰様でオープン以来、子供連れの家族層を中心に1日50人から60人、多い日は100人ぐらいのお客様に来て頂いていました。ただ、大変申し訳ないことですけど、予想以上の入り込みだったことから、いまは安定供給のため休みを頂いている状況です。エビが釣れるのは1人3匹までですが、そうなると1日最大300匹、1カ月で2400匹ほどのエビが必要になります。先ほど申し上げたように月1500匹ほどの出荷体制のため、現在は安定供給に向けた体制づくりに努めているところで、夏休みに入る7月21日に再スタートする予定です。

 

この「つちゆ湯愛エビ」については対外的な販売は予定しておらず、あくまで土湯温泉のみでの消費を考えています。現在は釣り堀のみですが、将来的には地元の旅館や飲食店に提供して土湯の特産品としてブランド化させることで、地域活性化の一つの起爆剤にしていきたい。そのためには最低でも月3000匹は必要になると考えており、今後は水槽の増築や養殖場の用地確保などを進めていく方針です。また、現在は初期投資の償却や生産数が少ないこともあって1匹当たりの値段は一般市場と比べて相当高くなっていますので、大量生産や効率化によるコストダウンも今後の課題ですね。

 

――最後に今後の抱負を。

 

加藤 昨年はバイナリー発電やエビの養殖事業の視察のため、県内外から約2500人もの見学者が訪れ、その半分以上が地元旅館に宿泊されました。また、売電収入の一部を地元小学校の給食費無料に使ったり、路線バスの定期券を高齢者や高校生に無料で配布するなど、当社は発電事業がメーンではあるものの、あくまでそれが〝目的〟ではなく、〝手段〟だと考えています。
発電事業だけであれば別にほかの地域の企業に任せてもいいのですが、それでは地域の活性化にはつながりません。つまり、重要なのは売電がいくらになったではなく、地元の資源を活用してどう復興再生につなげ、どうにぎわいをつくり出していくかなんですね。

 

バイナリー発電の視察のため多くの人が土湯を訪れたように、会社設立以来、産業観光という位置付けで「再生可能エネルギーを活用した温泉観光のモデル地区」を目指してこれまで取り組んできました。今後も発電事業の安定的な運営はもちろん、地元の人口減少対策や地域活性化につながる取り組みを模索していきたいと考えています。 (聞き手・斎藤 翔)

 

■加藤勝一代表取締役社長略歴

 

昭和23年11月13日、福島市生まれ。福島商業高校を卒業後、家業の石材業に就いたが、後に親戚の旅館業を引き継ぐ。平成9年に旅館業から介護福祉業に業態転換し、社会福祉法人多宝会を設立、29年7月まで理事長を務めた。現在、市内で夫人と息子夫婦、孫3人と7人暮らし。趣味は旅行。3年から19年まで4期16年にわたり福島市議を務めたほか、現在は土湯温泉町地区まちづくり協議会長、湯遊つちゆ温泉協同組合理事長などを務める。

 

■企業 DATA

 

設立:平成24年10月

 

所在地:福島市土湯温泉町字下ノ町17

 

事業内容:バイナリー発電、小水力発電、エビ養殖業、こんにゃく工房金蒟館の運営

 

資本金:2,000万円

 

従業員:10人

 

http://www.genkiuptcy.jp/

 

(財界ふくしま2018年8月号掲載)

 

 


区切り

2018年7月1日

株式会社げんきカンパニー

地域医療の相談役として
「かかりつけ薬局」を目指す

 

志賀 誠代表取締役

 

■調剤薬局が地域医療の一翼を担う時代

 

――まずは創業の経緯からお聞かせください。

 

志賀 2010年に創業した比較的新しい会社です。

 

私は事業を立ち上げる以前は、医薬品卸売会社で営業職をしていました。出身は石川町で、仕事は主に郡山市内で活動していましたので、起業の時も家族との生活面も考えて、長く親しんだ郡山を拠点にスタートすることにしました。

 

サラリーマン時代は、病院・薬局に医薬品を販売する仕事でしたが、いまは薬局で購入する逆の仕事になりましたね。(笑)

 

――御社の業務内容を改めてお聞かせください。

 

志賀 あすなろ調剤薬局の屋号で、郡山市の堤下と富田に2店舗の調剤薬局を展開してます。

 

皆さんもご経験があると思いますが、病院で診察を受けて処方箋をもらい、薬局で調剤して薬を受け取る体制が一般化しています。医薬分業と言われていますが、薬の部分でより患者さんと深い関係が築けるかが、これからの事業展開のポイントだと思います。

 

患者さんに薬をお渡しする業務は、どの薬局も業務は大差はない中で、まず不調があったら最初に相談する「かかりつけ医」のような「かかりつけ薬局」の役割を目指していければと思います。

 

具体的に言えば、薬の飲み合せのアドバイスや、処方通り患者さんが薬を服用しているかのチェックなど、時には家族背景に留意しながらきめ細かい医療相談を受けれるような関係です。

 

というのも、医療機関との連携強化の一環として、地域ネットワークでの情報共有・健康相談への対応など、かかりつけ薬局が地域医療の中で、大きな一翼を担うことを国が推進しています。

 

その状況の中で、患者さんに私たちの薬局を選んでもらうには、先ほど述べたような患者さんからの信頼のが大切だと思っています。

 

そんな信頼を積み重ねる中で、新規店もチャンスがあれば増やしたいと考えています。新規開業医さんとペアで、お互い強い連携がとれる体制で事業を進められれば、地域に欠かせない「かかりつけ薬局」になれるのではないかと思っています。

 

――会社の強みはどのような点だとお考えですか?

 

志賀 患者さんはもちろんそうですが、医療機関も含めコミュニケーションが大切な業種です。そんな周囲との連携を円滑に行い、薬局を支えてくれているスタッフには感謝しています。震災直後もガソリンや医薬品が滞る中でも、一日も臨時休業することなく営業出来たのはスタッフのお陰です。

 

小回りが利く小さな会社の特性を生かして、一日に短い時間しか働けない家庭を持つ主婦などでも、フレキシブルに働ける環境を模索しています。また、薬剤師さんと一口に言っても、病院勤務やドラッグストア、医療メーカーなど職場が違えば業務内容は大きく違います。私どもの薬局では、調剤薬局の未経験の薬剤師さんでも、働いて頂いています。業界全体が慢性的な薬剤師の人員不足ということもありますが、業務経験のある薬剤師さんはどの薬局も求める人材です。しかしそれだけでは、人材不足で地域医療は回りません。調剤薬局の未経験者やブランクがある方でも、経験を積めるような環境にしていかなけれぱいけないと考えています。自社の強みであり宝である人材が、より働きやすい環境を目指していきたいと思います。

 

■子供にエールを送る放課後等デイサービスを

 

――現在、力を入れておられる業務はありますか?

 

志賀 昨年7月から新事業として、放課後等デイサービスを郡山市内に開所しました。

 

起業家の先輩に「会社を運営するには3年に一度は新事業を始めないと業績は伸びない」とアドバイスをもらっていたので、ほぼ3年ごとに調剤薬局の店舗を増やし、昨年に新事業を始めました。

 

放課後等デイサービスという施設は、一般にはまだ聞き慣れない施設かもしれませんね。2012年の児童福祉法改正で、不足していた障害児自立支援施設を増やすために設置された、障害のある就学児童(小学生・中学生・高校生)が放課後や長期休暇に通うことの出来る施設です。

 

対象は障害のある児童ですが、障害者手帳などがなくても専門家の意見書などを提出し、施設利用の必要が認められれば、受給者証が自治体から発行されます。取得することで通所の申し込みが出来、1割負担でサービスを受けることが出来ます。

 

現在、郡山市には28施設の放課後等デイサービスがあります。その中でも私どもは比較的新しい施設だと思います。ご両親が共働きなど、お子さんのお世話をする時間が取れないご家族の需要は高まっています。

 

子供たちは、身体的な障害から自閉症など多岐に及びます。私どもの強みは、保育士を5人、施設に配置して個々の子供たちに合わせたきめ細かい対応や、カリキュラムを準備している点です。

 

ただ通所して時間を過すだけでは、地域での施設の存在意義も薄まってしまいます。業務では日々の準備がとても大切で、例えばご家族から「ボタンはめ」の練習をして欲しいと要望があった場合などには、目標に向かって、楽しく続けられるように工夫しながら準備します。保育士ならではの知恵と子供たちとのかかわり方は、プロだなぁといつも感心します。

 

始まったばかりの事業ですが、子供たちやご家族が、楽しく通えて何かしらの達成感を持ち帰れる施設運営をしてくれているスタッフには、感謝しています。

 

――最後に今後の抱負を。

 

志賀 調剤薬局も放課後等デイサービスも、利用される方といい関係を深めていくことは、事業の根幹として同じだと思います。

 

いままでもそうですが、一人ひとりに沿ったサービスを地域で積み重ねていきたいですね。(聞き手・江藤 純)

 

 

■志賀 誠代表取締役略歴

 

昭和42年2月26日生まれ。学法石川高校から東北福祉大学を卒業。医薬品卸売会社に就職後、営業職一筋として活躍。平成22年に㈱げんきカンパニーを創業し、現在に至る。郡山市内在住で夫人と1男1女の4人暮らし。趣味はゴルフと、甲子園へ行くほどの高校野球と、W杯を控えるラグビーなどのスポーツ観戦。

 

 

■企業 DATA

 

設立:平成22年

 

事業内容:保険調剤薬局、放課後等デイサービス「あすえーる」の運営

 

資本金:300万円

 

従業員:17人

 

(財界ふくしま2018年7月号掲載)

 


区切り

2018年6月1日

ホームベーカリー コビヤマ

「マチのパン屋さん」の温もりで
会津のブランド力を発信

 

小桧山和馬代表

 

■会津食材使用のシュト―レン「食の復興」が出発点

 

――まずは店舗の歴史をお聞かせください。

 

小桧山 曽祖父が大正時代に和菓子店を始めたのが原点になります。パン屋を始めたのは父の代からです。ですのでパン屋としての創業は昭和56年になります。父は私が小学生の時に亡くなり、その後は母とスタッフでお店は切り盛りしていました。そんな母の姿を見て「お店を継ぐよ」と子供の私は言っていたそうです。記憶は薄いですが。(笑)

 

地元の高校を卒業後、パンを専門的に学べる東京の菓子専門学校で学びました。その学校では短期ですがフランスとドイツに留学出来るのが魅力でした。本場のパンや洋菓子に触れる経験が、現在の店舗に生かされているかもしれません。その後、横浜の有名パン店で修業をしました。その店は1店舗で年商1億円を売り上げる有名店で、私はパンを焼き上げる窯を担当していました。15時間以上パンを焼き上げる日々が2年間。(笑)体力の限界で辞めることになりますが、その経験もいまの大きな土台になっていることは確かです。私の店では約100種類以上のパンやお菓子はもちろん、お惣菜も手づくりです。朝4時から仕込みを始めますが、当時に比べれば大丈夫です。

 

帰郷後に店を手伝ったり講習会に参加したりしてスキルを上げている最中に、大震災が起きました。店が半壊する中、相談に乗ってくれたのが地元の信組さんです。現在の店舗は信組さんのアドバイスを得ながら、私が代表としてリニューアルオープンしたものです。あれから7年経過しているのですね。

 

――会津の食材を使ったシュトーレンを制作するきっかけは?

 

小桧山 信組さんからのお誘いがきっかけでした。復興庁が主催する「世界にも通用する究極のお土産」に応募するお土産を制作してみないかというお話でした。

 

シュト―レン(写真右端のもの)というお菓子は、ドライフルーツやナッツのラム酒などに漬けたものを練り込んだドイツの菓子パンです。その形はキリストの揺りかごを模していると言われる通り、クリスマスの時期によく食されます。長期間日持ちがするので、フレッシュなものと熟成したものとの味の変化が楽しめ、ドイツではクリスマスの1カ月前から味わうんです。私たちが制作した「會津が香る シュトーレン」も約2カ月お楽しみ頂けます。

 

私はパン屋なので、食の面から復興を後押ししたいと考えました。ですので会津が誇る食材である身不知柿と、会津のおいしい日本酒「会津娘」を使用しています。当時、復興大臣政務官を務めていた小泉進次郎さんが、このシュト―レンをお知りになって「こういうことがやりたかったんだ」と突然お電話頂いたのには、びっくりしました。ご本人が福島にお出での際に、店舗に来られて直接お買い上げ頂いたのは、大きな励みになっています。

 

シュト―レンをもっと認知してもらうため、伊藤忠商事や全国信用協同組合連合会などが運営する購入型クラウドファンディングサービス「MOTTAINAIもっと」に登録し、資金提供者に会津の産品をお贈りし、初の成功事例として好評を得ました。大きな夢ですが、会津、更には福島のお土産の定番にこのシュト―レンが成長してくれればありがたいです。

 

――地元高校とのコラボ商品の開発にも力を注いでいますね。

 

小桧山 コラボ相手の若松商業高校は私の母校なのですが、この企画のデザイン協力をしている学校の先輩にお話を頂きました。会津産山桜のはちみつを使用した「桜蜜ラスク」です。いちご味のピンク色のチョコは『八重の桜』をイメージしています。高校生と接した中で発見があったのは、商品を輝かす熱意です。お客様からのご意見の中でも「高校生の商品に注がれている熱量を感じて購入した」というご意見をもらいました。お客様をまず喜ばせたいという原点が受け手に感じられるものだったんでしょうね。

 

そういう意味では、商売の基本を改めて見つめ直すいい機会になりしたね。すべてのパンに天然酵母を使用したり、水や国産小麦など原料にもこだわっているのも、お客様の健康のため。昔ながらの手作りお惣菜の挟んだパンから、最近流行しているパンまで取りそろえるのも、子供からお年寄りまでパンで笑顔になってもらいたいからです。

 

近くの大学や高校の生徒さんで、やっぱりここのパンがおいしいからと通ってくれる子がいます。そういうお客様を一人ひとり大切にすることの積み重ねだと思います。

 

ラスクの方はお陰様で、あるイベントでは600枚が完売するなど好評を得ています。山桜のはちみつは濃厚なので、配合する分量は試行錯誤しました。シュト―レンと同じように、会津のお土産の定番に育ってくれればうれしいですね。

 

■地域企業の間を取り持ち新しい魅力を広げる喜び

 

──今後の夢や展望についてお聞かせください。

 

小桧山 私はマチの小さなパン屋ですが、例えば今回のように酒造所と食品加工会社などの間に立つことは出来ます。地域の魅力を引き合わせて、より大きな魅力を引き出すことが出来るんだなと面白さを感じています。いい素材を合わせて、手間暇掛けてつくるパンと同じですね。(笑)

 

シュト―レンやラスクの試みの中で、会津でいいものを制作している方に多く出会う機会を得ました。お店に居るだけでは得られなかった視野の広さも大きな財産です。修業時代に「味がいいのは当たり前、人間性を磨け」と教えられました。商品には人柄が現れると思います。

 

これは構想中ですが、会津の逸品を掲載したセレクトブックを、地域ぐるみで制作出来ればと考えています。例えば結婚式の引き出物用に式場に置くとか、旅行バスや観光スポットに設置するなど、会津のブランド力を発信する有効なツールになると思うんです。そこから会津に興味を持って現地やコビパン(地元での愛称)へ行ってみよう、食べてみようと思ってくれる方が県内外で増えてくれればいいなと思っています。(聞き手・江藤 純)

 

■小桧山和馬代表略歴

 

昭和58年5月26日、会津若松市生まれ。若松商業高校から日本菓子専門学校パン科を卒業。横浜のパン屋での2年間の修業後に故郷に帰省。故郷でもパン作りの研鑽を重ね、リニューアル後の平成23年から代表に就任し、店の舵取りを担う。現在市内で母、夫人、1男1女の5人暮らし。趣味は休日に家族と買い物や出掛けること。

 

■企業 DATA

 

設立:昭和56年

 

所在地:会津若松市山見町307

 

事業内容:パン、洋菓子の製造販売

 

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(財界ふくしま2018年6月号掲載)


区切り

2018年4月1日

福島鈑金工業株式会社

社員の貢献意欲を芽生えさせ
利益率を上げていく

 

戸川政実代表取締役社長

 

■図面のないオーダー品が特色

 

――まずは事業内容からお聞かせください。

 

佐戸川 現在、当社では部品製造などのモノづくりをされている企業に向けて、品質や安全、環境を改善するための板金製品の製造と取り付け、それに付随した電気制御、省力化装置、集塵・局所排気装置などを提供しています。具体的には、ゴム製品を成形する設備のゴムカスを受けるためのステンレス製の受け皿や、加工中の製品を次の工程に移動させるための製品棚のほか、コンベアや研磨機用の安全カバーなどを手掛けています。

 

ただ、こういった製品を造るだけでしたら同業者はごまんといるのですが、中でも当社が得意としているのが大量生産ではない「図面のないオーダー」になります。「製品がスムーズに流れるように改造したい」「有機溶剤が漂うからどうにかしたい」といった困りごとに対して、現場に直接伺ってその工場に合った一品のオーダー品を図面作成から製作、取り付けに至るまでワンストップで提供したり、修理する。

 

皆さん同じ製品を造っているわけではありませんから設備も多種多様であるため、サイズや形状など、お客様の用途に合わせて製作していきます。こういった図面のない段階から細かいオーダーに対応出来るところは意外と少なく、お陰様でいまは県北地方を中心に、高速道路沿いには北は宮城県の古川市近辺から南は天栄村まで、大手メーカーや町工場など様々なお客様とお取り引きさせて頂いているところです。

 

――日本のモノづくりを支える部品製造業を更に下支える会社ということでしょうか。

 

佐戸川 そうなりますね。皆さん古い設備を毎年きれいにメンテナンスしながらギリギリまで使い倒して頑張っているように、この「改善」の繰り返しが日本のモノづくりの強みなんです。いわば当社はこういった皆さんの「改善」をお手伝いする御用聞きのような存在だと思います。

 

また、社員が定年退職しても設備だけは残るわけですから、逆にお客様の方から「使い方が分からないから教えて欲しい」といった要望もあります。長年にわたりお客様とともに歩んできたことで、たとえ古い設備であってもその使い方やメンテンスなどのノウハウが蓄積されており、それがほかにはない強みになっています。

 

■月次決算を社員すべてに公開する

 

――職務能力に加え、人間的な成長を目指した社員教育にも力を入れているそうですね。

 

佐戸川 我々はモノづくりで終わるのではなく、お客様の困りごとを引き受ける業種ですから、資格取得はもちろん、お客様に寄り添い一緒になって考えて提案が出来る、技術力と人間性の両面を兼ね備えた社員を必要としています。そのため、打ち合わせから金額交渉、実際の製造・取り付けまで、一貫して一人の社員がこなすことが出来る「技術者」の育成に力を入れており、同業者の方から時々「お宅の職人さんは―」と言われることがあるのですが、いつも私は「うちは技術者です」と言うようにしているんです。

 

もちろん一気通貫で仕事をこなすのは社員にとってみれば大変なことです。ただ、お客様にとってみれば最後まで同じ担当だった方が話もしやすいですし、お客様との関係も出来やすい。当社では必ず給料日には1人1冊、本を渡して感想文を書くようにお願いしています。やはり、最低限の教養がないことにはお客様との話も出来ませんからね。また、月1回の研修会を設け、中小企業の成功事例を取り上げたビデオを鑑賞し、そこから自社に何が取り入れられるのかグループディスカッションをするなど、一人ひとりが考えて行動出来る「人としての成長」を目指しているところです。

 

もう一つ、社員教育の取り組みとして行っているのが、月次決算と年次決算を社員すべてに公開していることです。営業だけだったり、モノをつくったりだけですと、その原価が正しいかどうか見えませんよね。当社の場合、社員全員が一つ製品をつくるのにどれぐらいの時間、お金が掛かるのかを意識して金額の交渉をしています。製品をきちんと納めるだけでなく、なおかつ適正な利益の確保までを一つの仕事としてやっているんです。

 

このように月次決算を公開するようになったのは、2008年9月に起きたリーマンショックがきっかけでした。その前年には過去最高の売り上げを記録するなど業績も好調だったのですが、リーマンショックによって一気に仕事がなくなり、4割まで売り上げが落ちてしまったんです。当然、賞与を出せる状況ではなかったのですが、社員の間で「こんなに頑張っているのになぜ出ないのか」と疑心暗鬼が生まれてしまい、理由が分からないまま年を越すわけにはいかなかった。それで、なぜ賞与が出せないのか、実際の数字をもって危機感を共有してもらうため、経理を公開することにしたんですよ。

 

結局、福利厚生や退職金の積み立て、給与がある中で、月の経費がどれぐらいあるか分かると、なまじ、お客様に言われたから金額を下げましたとはいかなくなります。また、お客様と交渉事をする際、実際の数字を知っていると、非常に説得力のある提案が出来るんです。

 

現在も受注に対して個別に原価計算していて、自分がどれぐらい会社に貢献しているのか分かるようにしています。このことで一人ひとり貢献意欲が芽生え、実際に利益率は上がるようになりましたし、更には副次的な効果として、社員から経営に対して「ここがおかしい」という提案を受けるようになって、会社全体の改善にもつながっているんですね。

 

――最後に今後の抱負を。

 

佐戸川 新規開拓というより、まずは既存のお客様のケアを徹底し、その都度、改善や修理の提案を行っていきたい。また、当社は依頼があってから製作する受注型産業なんですが、いずれは自社ブランドを手掛けたいですね。まだ構想段階なんですが、福島鈑金といったらこれだと言われるような製品を開発したいと考えています。(斎藤 翔)

 

■佐戸川政実代表取締役社長略歴

 

昭和39年8月11日、福島市生まれ。福島東高校から東北学院大学経済学部を卒業。東京都の設備工事会社での勤務を経て、平成3年11月に同社に入社した。営業部長、専務取締役などを経て18年に現職に就任。現在、市内で両親と夫人、1男と5人暮らし。趣味は読書とトイレ掃除。公職では中小企業家同友会で福島地区会長を務める。

 

 

■企業 DATA

 

設立:昭和37年9月

 

所在地:福島市森合字道端2-2

 

事業内容:各種板金製品・製缶類の製造、安全・省力化装置の製造、搬送装置の製作施工、空調・換気・排煙・局所廃棄等各種ダウト工事

 

従業員:8人

 

資本金:1,000万円

 

http://www.fuku-ban.co.jp/

 

(財界ふくしま2018年4月号掲載)

 

 


区切り

2018年3月1日

木之本漆器店

暮らしに彩を与える
「生活芸術」作り続ける

 

遠藤久美店主

 

 

■唯一のこだわりは自然なリアリティー

 

──まずは店舗の歴史をお聞かせください。

 

遠藤 創業時期は、実ははっきり分からないんです。(笑)お店の蔵が確実に存在していたのが明治中期ごろなので、そう公称しているんです。というのも漆器作りは農家さんが農業の閑散期にする仕事だったので、正式な記録が残っていないんです。

 

これは私の推測も含まれているのですが、滋賀県に木之本(現・長浜市)という地名があります。その土地を治めていた蒲生氏郷が、会津に転封した際に職人を連れてきた歴史があります。創業者もその職人の一人で、屋号に故郷の地名を使ったのかもしれませんね。先代である父は、そんな代々続く漆器職人で、冠婚葬祭に使われるお膳やお椀など伝統的な会津漆器を作っていました。戦時中は木や漆など素材が手に入りやすかったことから、軍用食器も作っていたそうです。

 

──会津の伝統的な漆器店から、オリジナルの手造り工芸品を手掛けるようになったきっかけは?

 

遠藤 父の病気を機に帰郷して、家業を継ぐことになったんです。当時、私は東京で働いていたのですが、女姉妹の上の2人の姉は嫁いでいて、残るは私だけ。(笑)

 

東京でCMの製作に携わる夢を追い掛けてましたから漆塗りの修業をしたわけでもなく、専門学校で技術を勉強したわけでもありません。邪道と言われるかもしれませんが、この部分は木材や漆でなくてもいいと伝統工芸に対するこだわりがなかったのが、いい方向に作用したのかもしれません。そんな中でいろいろな方に助けを借りながら、確立したガラス細工への蒔絵細工が、お店の商品の特徴になっています。

 

当時は父と仕事をしていた男性の職人さんもいらっしゃいましたが、私の試みに反対するよりも、面白がってくれました。喜多方は商人のマチなので、若い人の挑戦には意外と抵抗はないんです。私が女性だったのも良かったのだと思います。

 

それと会津という土地も大きく影響していると思います。会津は生活基盤が盆地の中で集約されています。遠くに行かなくても使える素材があり、同じリズムで暮らす職人さんや異業種の方に教えを乞えたことも、新しいものに挑戦出来た要因だと思います。商品は、地元素材を手仕事で製作していますが、地元産にこだわったわけではなく、流れでそうなったのです。

 

──国土交通大臣賞を受賞した「桐の粉」の人形はどのような経緯で誕生したんでしょうか?

 

遠藤 夏には蒔絵入りの風鈴などの商品があったんですが、冬の商品がなかったんです。(笑)そんな時、商品を塗ってもらっていた会津坂下の職人さんが赤べこなどの「おっぺし人形」を作っていて、本気でやるならと誘ってくれたんです。おっぺしというのは方言で〝押す〟意味です。その名の通り粘土を木型に押し込んで作るのですが、木型の製作は難しく修正がきかない上、デザインも限られます。ならば私の得意な手びねりでやってしまおうという発想です。

 

素材の粘土はちょうどいいものが見付からず、試行錯誤しました。近所の製麺所さんに相談して、いまのラーメン粉にたどり着きました。桐細工の加工には、木屑が大量に出るのも知っていたので、焦がした木屑を混ぜるなど加工も試しました。初期のころはネズミが持っていってしまい、納品数が足りないなんてこともありました。(笑)いまはハバネロを混ぜて対策しています。

 

独自の粘土をこだわったのは、風合いや色使いに強い思いがあるからです。作品として許せない時は、不自然に見えてしまう時が多いです。感情表現は、喜怒哀楽が入り混じりながら表れますよね。唯一商品こだわっている点は、そんなリアリティーを追求することです。

 

■「自分の仕事に集中する」男性も女性も本質は同じ

 

──店舗2階には桐の粉人形のギャラリー「桐のこ人形館」(写真参照)がありますね。

 

遠藤 以前から経験したことを何か形に出来ないかと思っていたところ、ある方から「4~9歳に遊んでいたことを思い出してみたら」と言われてジオラマ作りをしていたことを思い出したんです。そのぐらいの年齢は周りを気にしないで遊ぶ時期だそうですね。お祭りや学校生活など、私の楽しい思い出を題材に製作しています。半分趣味の部分もありますが、これをやりたいから本業が頑張れるところもあります。世界観にリアリティーを持たせることは、商品と共通しています。作るとまだ新しいアイデアが出てくるんです。場所がなくてどうしようと思っています。(笑)

 

もう一つ理由を挙げるなら、自分が作りたいものを商品としてお客様が買ってくれることの喜びを再発見したことです。震災後に亡くなったペットの人形を作って欲しいという依頼があり、昨年まで取り組んでいたのです。ペットは飼い主さんの思い出の中のものですから再現するのは難しく、精神的に重い仕事でした。ジオラマの世界観を作るのは、心のリラックスタイムだったんです。仕事も癒しもモノ作りですから、私は本当に好きなんですね。

 

──職人さんは全員女性ですね。

 

遠藤 全員女性なのは、意識してでなく自然となんです。私たちの商品は、普段の暮らしに寄り添う「生活芸術」なんだなと、だんだん気付いてきたんです。家族の暮らしを担う女性の感覚を求めてきたから、この体制になったのだと思います。

 

女性が働きやすい環境を模索していますが、答えは見付かりません。私たちの仕事は追求すれば時間は無限大です。また、いい仕事をしなければ報酬ゼロです。その中で家庭も仕事も自分の裁量で出来るように、無休営業にしているんです。

 

私が言うのは「自分の仕事に集中して」だけ。チームで合計100個製作の仕事を、それぞれが100個を目指して向かう。その時に人を気にする暇はないと思います。その意味では、仕事への姿勢は男性も女性も同じだと思うんです。男性の方が過剰に意識し過ぎな部分もあるのかもしれませんよ。(笑)(聞き手・江藤 純)

 

■遠藤久美店主略歴

 

昭和33年2月9日生まれ。喜多方高校から跡見学園女子短期大学生活芸術科を卒業。夢であったCM製作の道を東京で模索するも、23歳の時に父親の体調不良により帰郷。漆器店を継ぐことに。現在、喜多方市内で母(前店主)のコトさんと2人暮らし。趣味は子供のころから続けている野菜作り。子供時代は、作物に名前を付けるほど熱中した。

 

■企業 DATA

 

設立:明治中期

 

所在地:喜多方市字天満前8859

 

事業内容:漆器・ガラス工芸・桐の粉人形など手造り工芸品の販売、桐のこ人形館の運営、蒔絵体験教室

 

従業員:14人

 

http://www.aizu-kinomoto.com/

 

(財界ふくしま2018年3月号掲載)

 

 


区切り

2018年2月1日

株式会社ミツワ

お客様の困りごとを
蓄積した技術で手助けする

 

 

佐藤 茂  代表取締役

 

 

■人柄で信頼を得て業務の輪を広げていく

 

──まずは創業の経緯からお聞かせください。

 

佐藤 私たちの仕事は、室内環境整備や害虫駆除などのビルメンテナンス業の区分に入ります。この事業を始める前は運送業を営んでいました。昭和53年に法改正があり、マンションや公共施設などの施設については、生活用水の貯水槽を設け、定期的な清掃が義務付けられました。それに合わせて私の父である先代が、貯水槽の清掃業務を仲間2人と始めました。社名の「ミツワ」は、父を含めた3人の創業メンバーに因んでいます。

 

いまは定期的な貯水槽の清掃が当たり前ですが、法律の施行後は一般に認知度が低く、お客様も消極的な反応が多数ありました。各自治体も施行後5年ぐらいは、入札もない状態でしたから。そんな中で先代は、県内各地域の管工事業者さんを回り、地道な営業と人柄で信用を得て、徐々に業務を拡大してきました。

 

先代もそうでしたが、私も人が好きです。そういう部分が先駆的な事業でも、私たちを通して認知頂き、ありがたくもお客様と長くお付き合いさせて頂いている要因かもしれません。私はあまり営業らしい営業はしていませんね。話好きではあるので、お客様と雑談が盛り上がり「ところで何しに来たの?」と言われて、最後にちょこっと営業をする感じです。(笑)まずは自分をPRする。焦らずにお客様との関係を作るのが第一だと思いますので、そういう部分は営業担当など社員にも伝えています。

 

──御社の業務内容を改めてお聞かせください。

 

佐藤 貯水槽や給・配管、ダクトなどを洗浄・清掃、検査、メンテナンスを行っています。また側溝の清掃も事業内容ですので、除染作業もお手伝いさせて頂いています。最近では高圧洗浄での外壁を塗り直す前の古い塗装の剥離や、高速道路の路面の洗浄などもやらせて頂いています。

 

ガソリンスタンドなどのオイルタンクも、貯水槽と同様に定期検査が義務付けられたのを契機に始めさせて頂いた事業です。清掃はもとより、タンクの漏洩や残厚などの検査や補修を行っており、また解体や入れ替え、配管工事も行っています。清掃で出た汚れもそうですが、各種産業廃棄物の収集から処理も業務の柱の一つです。

 

関連会社の事業になりますが、不用品回収や片付けサービスを行う「片づけのパオ」、家屋などの解体サービス「解体のパオ」を運営しています。ウェブサイトで見積もりや注文が出来て、遠隔地からの依頼も可能です。古物商も認可を受けているので、再利用出来る不用品は利益をお客様に還元しています。震災前から大手さんに先駆けて事業展開し、特に震災後は多くのお客様にご利用頂きました。

 

──会社の強みはどうのような点だとお考えですか?

 

佐藤 お陰様で当社は平成29年に創業40周年を迎えることが出来ました。ここまで事業を続けられたのは、お客様からご依頼された困りごとを一つずつ解決しながら、私たちへの信頼の輪を広げられた成果だと思います。

 

創業当時から比べると、業務に使用する機材は目覚ましい進化を遂げています。現場の意見を汲み取ってくれた機材メーカーさんの努力と、実際に現場に当たってくれている社員の力も大きいと思います。当社の技術者も独自で機材をカスタマイズして実際の現場で使用しているんですよ。業務に使用する高圧洗浄や吸引を行う特殊車両は、半年から1年ほど製作が掛かるものなのですが、メーカーさんの提示から、更に社員の要望を踏まえた仕様に改良しています。経費は掛かりますがね。(笑)この40年で蓄積された経験や人材も大きな強みに挙げられると思います。

 

そして何よりお客様は当然ですが、社員同士のつながりを大切にする部分は誇れる点です。業務上、現場の都合によって朝の時間はなかなか顔を合わせられませんが、業務後の終礼は必ず行って今日の業務の反省や問題点の共有は密接に行っています。

 

先代は「まずはあいさつをしよう」と社員に伝えていました。私の代でもそのイズムは継承しています。この仕事は危険が伴う場合もあり、基本を忘れがちになると業務にも影響が出ることも考えられます。まずはあいさつや身だしなみの基本から見直すことで、社員との「和」、お客様との「輪」、社会との「環」が、初めて広がっていくものだと思っています。

 

■多様なニーズに応えることで暮らしを下支えしていく

 

──業務を行う中で、力を入れている部分は何でしょうか?

 

佐藤 私たちの業務は、なかなか表舞台に立ちにくいものですが、時代の利便性が向上するに従って内容は多岐に及んでいます。タンクなどの材質も鉄などの金属や強化プラスチック、コンクリートと様々です。清掃する現場も貯水槽やオイルタンクのほかに飲料工場や薬品工場、また温泉や介護施設で繁殖する細菌対策も業務の範囲になります。また、配管などの制御の電気系統も複雑化しています。それぞれの現場で、清掃する物や汚れに応じて異なった業務方法が求められる中で、なるべくすべての困りごとに対応出来るように、人材も設備も充実させていければと考えています。

 

そのような意味では、これからもニーズが多く、やりがいのある事業だと考えています。この仕事を志す若い人が増えるよう、魅力を発信出来ればと思っています。

 

 

 

──最後に今後の抱負を。

 

佐藤 震災直後は水が不足していたので会社敷地内に井戸を掘り、住民の方に自由に使えるようにしました。また、近隣の病院にも給水車として車両で回ったんですよ。業務の範囲外でしたが、やれることはお手伝いしたい気持ちが根底にあります。昔も現在も変わらず私たちの使命は、お客様の困りごとを解決することだと思っています。その部分を丁寧に続けていければ、これからの福島の未来の一助になるのかなと思っています。(聞き手・江藤 純)

 

 

■藤 茂代表取締役略歴

 

昭和43年1月19日生まれ。日本大学東北高校から北里大学環境衛生学部を卒業。大手製薬会社に就職後MR(医薬情報担当者)として活躍。先代の体調を契機に家業を継ぐため、関東の廃棄物処理会社で5年経験を積む。平成10年に㈱ミツワへ入社後、15年に現職に。現在は市内で夫人と子供5人(中3、中2、小6年、小5年、5歳)の7人暮らし。

 

 

■企業 DATA

 

設立:昭和53年

 

所在地:郡山市柏山町5

 

事業内容:建造物水槽(貯水槽・オイルタンクなど)の高圧洗浄、廃棄物処理、ビルメンテナンス

 

資本金:1,000万円

 

従業員:36人

 

http://www.kk-mitsuwa.jp/

 

(財界ふくしま2018年2月号掲載)


区切り

2018年1月1日

相馬ガスホールディングス株式会社

次世代エネルギーとして
水素事業に積極的に進出

 

渋佐克之代表取締役社長

 

■24時間365日の〝駆け付け〟サービスを提供

 

――まずは事業内容からお聞かせください。

 

渋佐 当グループは南相馬市と相馬市、新地町においてガス・灯油・ガソリンなどのエネルギー生活サービスを提供しています。具体的には、親会社である相馬ガスホールディングス㈱を中心に、南相馬市においては都市ガス・簡易ガス・LPガスを供給する相馬ガス㈱、同じく南相馬市にあってガス灯油機器、太陽光発電などのエネルギー機器や住設機器の展示販売を行うとともに、器具修理、灯油配送、ガソリンスタンド、ダスキン等を展開する㈱エネルギー生活市場。そして、相馬市と新地町においてLPガス供給、灯油配送、ガソリンスタンドを運営する相馬市ガス㈱の4社で構成され、現在、都市ガスの3000軒とLPガスの約1万軒、合わせて1万3000軒のお客様に支えられながら事業に取り組んでいるところです。

 

創業は昭和35年12月、相双地方唯一の都市ガス会社「相馬ガス」として、旧原町市が出資した第3セクターとして始まりました。ただ、都市ガス事業を始めるには、まず地中にガス導管を設置するなどの相当な設備投資を必要としたため、初めの7年間は赤字続きで大変だったと聞いています。経営が安定し始めたのはLPガス事業を展開するようになってからです。LPガスは住宅にメーターを付けてガスボンベを運ぶものですから、都市ガスと比べ投資は圧倒的に少なく、採算が取りやすかった。そのため、LPガス事業を稼ぎ頭に徐々に営業先を広げていくことで原町市内はもちろん、昭和50年代には相馬市にも進出するようになったんです。その後、営業エリアの拡大や事業の展開に伴って新会社設立を進めてきましたが、事業の効率化を目的に平成22年、これまでの6社体制から相馬ガスホールディングスを親会社とするいまの4社体制に移行しました。

 

震災を経て現在は都市ガスにおける復興公営住宅の事業が功を奏し、業績は震災前の9割台にまで回復しています。ただ、住民帰還がある程度落ち着いたことで、LPガスについては頭打ち感があるのは否めません。そのため、昨年に避難指示が解除された小高区での事業拡大を進めるとともに、復興が進む双葉地域での営業再開についても検討を進めているところです。

 

――現在、相双地方の都市ガス、LPガス事業においてトップ企業にまで成長しました。

 

渋佐 ここまでお客様に支持されるようになったのは、やはり創業以来、「24時間365日」の〝駆け付け〟サービスを徹底したことが大きかったのではないでしょうか。こうしたサービスは当時でも大変珍しかったのですが、いまでも「24時間365日」〝受付〟というところはあるものの、当グループのような〝駆け付け〟とまでなると、まず滅多ありません。この業種は安全安心が重要なウエートを占めますので、電話1本ですぐ駆け付けられることは、サービス面において大きく先行出来ているのだと思っています。

 

もちろん、そのためには人員の確保が大事ですが、それ以上に重要なのが当番制のシステムです。そもそも都市ガスは寝ずの番をしなければならなかったため、すぐに駆け付けることが出来るよう、内勤のみならず外勤の当番制を設けるなど、いまにつながるノウハウを、創業時から蓄積することが出来たんです。

 

■新たに水素エネルギー事業を開始

 

――今年9月にはエネルギー生活市場の敷地内において、県内で2番目、民間では初となる「スマート水素ステーション」を開設するなど、新たに水素事業への進出を始めましたね。

 

渋佐 「水素ステーション」とは、燃料電池自動車にその燃料となる水素を充填する施設です。水素ステーションを大きく分けると「商用」と「自家用」があるのですが、当社は料金をとらない「自家用ステーション」であり、ホンダの「クラリティ」を所持し、当社の趣旨に賛同する法人の方に無料で使用してもらうものになっています。仕組みとしては、エネルギー生活市場の屋上に20㌔㍗の太陽光パネルがあり、そこで発電した電力を元に水素を1日1・5㌔製造し、最大19㌔の貯蔵が可能です。また、一度に2・5㌔の充填が出来、走行距離は約250~300㌔となっています。燃料電池自動車のメリットは、騒音が小さく非常に静かで、かつエネルギー効率が良く走行距離が長いこと。そして、水素の燃焼時には水と少量の窒素酸化物が排出されるだけで二酸化炭素排出量はゼロと、環境に非常にやさしいことが挙げられます。

 

私がこの会社に入ったのは平成5年になりますが、実はそのころから水素エネルギーには並々ならぬ思いを持っていました。入社後、資格取得の勉強をしていたところ、教科書の中で、燃料電池に水素を供給することで全く二酸化炭素を出さないシステムが近い将来に出来る、という記事が載っていたんです。私はその記事に大変心を惹かれまして、以降、社内では次世代エネルギーとして水素の導入のことばかり言っていたんですよね。(笑)

 

具体的な動きになったのは震災後からです。原発事故によって再生可能エネルギーが注目されるようになり、ここがチャンスだと水素事業を始めることにしたんです。

 

――最後に今後の展望を。

 

渋佐 水素エネルギーについては、いまの都市ガスやLPガスのように住宅に水素を供給するなど、いずれは事業の柱の一つにしていきたい。ただ、現状では水素それ自体の製造コストが高く、いまだ実験段階ですから、技術やコスト面での進捗を見ながら事業化していきたいと考えています。今回の水素ステーションは、技術面のスキルアップや、水素自体の認知を広めていくための先行投資です。燃料電池自動車をはじめとした水素関連産業は成長産業であり、住宅水素については2020年ぐらいまでには事業化されると言われています。当社としてもそれに乗り遅れないよう、実験段階から積極的にかかわっていきく。そして近い将来、本格的な商用ステーションを開設出来ればと考えています。

(聞き手・斎藤 翔)

 

 

■渋佐克之代表取締役社長略歴

昭和34年9月11日、南相馬市生まれ。原町高校から慶應義塾大学法学部に入学。平成5年に現・㈱エネルギー生活市場に入社した。その後、相馬ガス㈱の常務取締役、取締役副社長などを経て18年に代表取締役社長に就任。22年に㈱相馬ガスホールディングス代表取締役に就いた。現在、南相馬市内で夫人と2人暮らし。趣味はカラオケ、映画鑑賞。公職では県公安委員長、原町商工会議所副会頭などを務める。

 

 

■企業 DATA

 

創業:昭和35年12月28日

 

所在地:南相馬市原町区青葉町2丁目3

 

事業内容:都市ガス・簡易ガス・LPガス販売、ガス灯油機器・太陽光発電などのエネルギー機器及び住設機器の展示販売、灯油配送、ガソリンスタンド運営など

 

従業員数:80人(グループ全体)

 

資本金:9,500万円

 

(財界ふくしま2018年1月号掲載)


区切り

2017年12月8日

合名会社四家酒造店

地元志向の酒造りで
いわき市に地盤を築く

 

四家久央代表社員

 

■コスト重視から品質重視の酒造りへ

 

――まずは創業の経緯からお聞かせください。

 

四家 当社の創業は江戸時代、弘化2年(1845年)になります。もともとは農業の傍ら薬屋を営む家だったのですが、創業者の又兵衛が酒好きだったことが高じて酒造りを始め、当時、この地を治めていた磐城平藩の城下町で日本酒を販売していたそうです。ただ、昔は藩ごとに酒の値段を決められていましたが、いわきは藩領が入り組んだ土地柄だったため、磐城平藩の城下町にはほかの藩からの安い酒もたくさん入り、価格競争が激しく経営も大変だったと聞いています。

 

その後、戦前から昭和40年代に掛けては、炭鉱の景気に支えられながら市内全域に販売を拡げることが出来、売り上げは順調に伸びていきました。それこそ村ごとに酒屋があったぐらいで、我々酒蔵にとってはとてもいい時代だったんですね。しかし、炭鉱が閉山してしまうと、それまでメーンの消費者だった炭鉱従事者がいなくなってしまった。そのため、日本酒の需要も昭和40、50年代をピークにだんだんと減少し、市内の酒蔵は軒並み苦しい経営環境に置かれるようになったわけなんです。

 

――そこで代表銘柄「又兵衛」が登場するわけですね。

 

四家 当時は自分のところで造った日本酒を、大手メーカーの銘柄にして販売していました。もちろん、「福美」や「竹林」といった独自の銘柄はあったのですが、メーンは大手メーカーのブランド力を借りて地元で販売するという経営だったんです。

 

しかし、日本酒全体の消費落ち込みに伴い、大手メーカーからの受注も少なくなってくると、これまでの経営を変えていく必要が出てきた。そこで自分たちで独自のブランドを築こうと、30数年ほど前に販売を始めたのが「又兵衛」なんです。これは、大手メーカーに出していたコスト重視の日本酒から、品質重視の日本酒にシフトした最初の銘柄であり、発売直後からたちまちヒット商品となりました。また、いまでこそ当たり前になっていますが、当時、人の名前を冠した銘柄は珍しかったと思います。まさに初代・又兵衛の名前を掛けて勝負した銘柄だったんですね。

 

――その意味では「又兵衛」が出て以降、「四家酒造店」の名前が現在のように知られるようになったということでしょうか?

 

四家 そうですね。いままでは地元の酒蔵ながら大手メーカーの銘柄で飲まれていたわけですから、「又兵衛」以降は、特に市内において当社の認知度は一段と高まったと思います。また、「又兵衛」は故・三國連太郎さんや佐藤浩市さんをはじめ県外のファンも多く、いまでも当社を代表する銘柄となっています。

 

 

■新酒造りを年末商戦に間に合わせたい

 

――平成8年の全国新酒鑑評会では、その「又兵衛」で初めての金賞を受賞しました。

 

四家 我々のような浜通りの小さな酒蔵が受賞出来るとは思ってもみませんでしたので、正直驚きました。やはり一番は杜氏の皆さんの頑張りが大きく、品質重視にシフトした取り組みがようやく実ったのだとうれしかったでしたね。

 

また、もう一つ大きかったのが高品質清酒研究会だと思っています。今年の全国新酒鑑評会において5年連続で金賞受賞数1位を獲得するなど、いまでこそ本県の日本酒は有名になりましたが、県内では長年にわたって普通酒を中心に造る酒蔵が多かったこともあり、30年ぐらい前までは金賞が一つも獲れない年もあったんですよ。

 

そこで名倉山酒造㈱社長の松本健男さんらが中心となって平成7年に立ち上げたのが、吟醸酒醸造に関する技術の情報交換を行う高品質清酒研究会になります。ちょうど私も家業に戻ったころで、ここで酵母や火入れなどの勉強をしながら、翌8年に初めて金賞を頂くことが出来ました。それからも何度か金賞を頂き、今年5月の鑑評会でも金賞を受賞することが出来ました。

 

いわきは温暖な気候のため、もろみなどの温度管理が大変難しく、日本酒が造りづらい地域だといわれています。そういう地域でもいい酒を造れることを証明出来たことは、大きな意義があると思っています。

 

――昨年2月には初の純米吟醸酒となる「又兵衛 純米吟醸」を発売しました。

 

四家 当社の特徴は、地元の酒蔵として全体の9割以上が市内で消費されていることで、飲み口も地元のニーズに広く応えるため甘口から辛口まで幅広くそろえています。また、いまだ地元では吟醸酒より、さっぱりとした普通酒の飲み口が好まれる傾向にあり、普通酒と特定名称酒との割合は7・3となっています。

 

ただ、ご多分に漏れず地元でも純米酒志向の需要が高まってきているのは事実であり、その声に応えようと、このたび酒米に県産の「夢の香」を使用した純米吟醸を発売することにしました。透き通った味わいと香りの良さが特徴で熱燗にも適しており、お陰様で売り上げも上々です。いずれは、地元の人が贈答品として「又兵衛 純米吟醸」を選んでもらえるよう、今後も品質の向上に努めていきたいですね。

 

――最後に今後の抱負を伺います。

 

四家 純米酒や大吟醸酒といった特定名称酒の志向は今後も確実に高まっていくことが見込まれますので、行く行くはそちらの方に軸足を移していかなければなりません。ただし、あくまで当社は地元消費をメーンとしている酒蔵ですので、家庭の食卓に並ぶ普通酒についても、バランス良く取り組んでいく。今後もいわきに根差した酒造りを信条に、地元のニーズを見ながら柔軟に対応していきたいと考えています。

 

また、先ほども話した通り、この辺りは温暖な気候のため、ほかの地域と比べ新酒造りに遅れが生じています。例えば、会津では10月ぐらいから新酒が出来ている酒蔵もあるのですが、当社では早くても正月明けになってしまうため、どうしてもワンテンポ遅れてしまう。昨年には冷蔵タンクを導入しましたが、年内での販売を目指して徐々に環境を整えていきたいですね。(聞き手・斎藤 翔)

 

■四家久央代表社員略歴

昭和45年8月28日、いわき市生まれ。磐城高校から國學院大學文学部を卒業。平成5年に家業に入り、24年に現職に。現在、市内で母と2人暮らし。趣味は古文書を読むことで、公職ではいわき市文化財保護審議会で審議員を務める。

 

■企業 DATA

 

設立:弘化2年(1845年)

 

所在地:いわき市内郷高坂町中平14

 

事業内容:清酒の醸造・販売

 

資本金:300万円

 

従業員数:15人

 

(財界ふくしま2017年12月号掲載)


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