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あの味この味 区切り

2016年2月1日

株式会社福島医療サービス

適正な調剤と助言を通して
地域から信頼を勝ち取る

 

高野真紀夫 代表取締役社長

 

■ネットワークを生かした地域密着型経営

 

――現在、県北地域を中心に「保原薬局」を13店舗展開していますが、まずは創業の経緯から伺います。
高野 当社は昭和49年に、県内では調剤専門薬局の草分けとして開業しました。背景には、同じ年に医薬分業推進によって処方箋料が大幅に引き上げられ、これを契機に院外処方箋が発行されるようになったためです。伊達地域では、保原中央クリニックと中野病院、伊達セントラルクリニックで立て続けに院外処方箋を出すようになり、当時、県内ではここといわき市でその傾向が顕著でしたね。
その後、保原中央クリニックが総合病院化を進めて患者数が急増したことで、「保原薬局」の1店舗だけでは受け入れることが難しくなり、隣接する形で本店を構え2店舗体制に移行しました。店舗が増え始めたのは平成7年前後からで、このころには医薬分業もだいぶ進み、大手医療機関や開業医も院外に処方箋を出すようになっており、薬局のニーズも高まっていました。そのため県北地域に集中的に店舗展開を進めることにしたんです。

 

ただ、我々としては店舗数を増やすこと自体を目的にはしておらず、一番は人材育成のためでした。薬剤師として経験を積んだあとも、そのままヒラでいるわけにはいきませんから、新しい店舗をつくってそこに薬局長として配属しようと。当社がほかと少し違うのは、薬剤師を確保し育てた上で新店舗の検討に入るという点です。本来であればいまの2、3倍まで増やすことも出来たかもしれません。ただ、当社では最低1店舗に薬剤師2人以上、事務員1人以上の体制をとっていますので、2、3年に1店舗のペースで地道に店舗数を増やしていきました。

 

――薬剤師2人というのは、他店と比べ珍しいことなんでしょうか?

 

高野 法律によって患者数40人に対して薬剤師1人が基本となっていますので、必ずしも必要というわけではありません。ただ、2人配置する最大のメリットは安心感だと思っています。一つは、薬を作るにしても隣に相談相手がいた方が安心してスムーズに仕事を進めることが出来ること。また、患者さんと薬の相談をしている最中に別の患者さんが入ってくると、もう頭の中は次のことで集中出来ませんよね。これはミスの元になりますし、サービス低下にもつながっていきますから、少なくとも薬剤師は2人配置するようにしているんです。

 

――県北地域に限定して店舗展開を進めた理由は?

 

高野 例えば国見町に住む患者さんが、伊達市の本店で処方箋をお願いしたとします。調剤に30分掛かるからといってそのまま待つより、自宅に帰る間に国見店の方で調剤し、そこで薬をお渡し出来れば待つ必要がなくなるわけです。ですから、店舗展開に当たっては、患者さんの利便性も考え、1つの町に1店舗を目安にしてきました。
また、たとえ1店舗に薬剤師が2人いるといっても当然休みも必要になりますが、その時の応援体制をしっかりと築けているのも、当社の強みだと思っています。地域に集中的に展開していることで、連絡があればすぐに応援に駆け付け、患者さんに迷惑を掛けずに済む。現在、本店にはベテランと新人合わせて8人の薬剤師が常駐しており、ここで新人教育を行うとともに各店舗の応援に入っています。スケジュールを容易に組める、緊急時にも頼める体制を築けていることは、従業員からしても安心して仕事が出来る環境になっているのだと思います。

 

■薬剤師から患者の元に出向く体制を

 

 
――今後の展望を伺います。

 

高野 いまの薬局の業態は、患者さんが持ってきた処方箋を基に調剤する、言わば「患者さんを待っている」状態です。ところが、いま求められているのは、その患者さんが本当にきちんと薬を飲んでいるのか、本当に効いているのか。もっと言えば本当に必要なのか、ということです。
いま当社では、高齢化社会のニーズに合わせて医療機関と連携を図りながら、在宅で療養されている方や老健、グループホームなどの施設に薬剤師が直接訪問し、服薬指導を行うとともに生活の実態をチェックしています。そうすることで、不必要であったり、減らしてもいい薬を患者さんや医師に提案していく。医療費を減らしていくことは非常に重要です。うるさく思われるかもしれませんが、薬の量が減らすことは医療界全体にとって非常に有益なことだと考えています。

 

――処方箋が減ることは、売り上げの低下にもつながりませんか?

 

高野 将来的には人口減少と高齢化が進み、処方箋が減っていくことは間違いありません。当然、売り上げが落ちていくのは目に見えているわけですから、それを防ぐためにどうするのか。それには、やはりこちらから患者さんのところに行って、その患者さんが施設に入ったならば施設の方にも出向いていく。
「保原薬局」に行けば適正な調剤、助言をしてくれる、無駄な薬を省いてくれるという評価をもらえるようにしていきたい。たとえ一時売り上げが下がったとしても信頼を勝ち取っていくことは、この地域の中で生き残りを図っていくためにも必要なことだと思っています。

 

どんな業界でもそうですが、全国チェーンの大手が入ってくれば、地域の小さな薬局はたちまち立ち行かなくなる。将来性を考え、いまどれだけ地域の皆さんの信頼を勝ち取っていけるのかを、目先の損得に左右されず進めていきたいと考えています。
また、今後の課題としては、目の前の開業医が閉院した時の対応です。開業医の高齢化や人口減少などによって、将来的にそういった事態に直面することが予想されますが、当社では閉院になったと同時に薬局も閉めることは考えていません。もちろん、その店舗で処方箋の数は減ることになりますが、逆を言えばそれだけ余裕が出来るということです。そのため、今後は他店舗とのネット―ワークを生かし、処方箋を会社全体で効率的に分担するシステムを構築していきたいと考えているところです。

(聞き手・斎藤 翔)

 

■高野真紀夫代表取締役社長略歴

 

昭和33年7月6日、伊達郡国見町生まれ。宮城県白石高校から東北薬科大学薬学部を卒業後、57年に済生会川俣病院に入局し、58年11月に同社に入社。管理薬剤師を経て、平成13年に取締役、19年に常務取締役に就任。22年5月から現職に。現在、国見町で両親、夫人と4人暮らし。趣味はジョギング。

 

 

 

■企業 DATA

 

設立:昭和49年8月

 

所在地: 伊達市保原町字城ノ内57-1

 

事業内容:薬局業

 

資本金:2,000万円

 

従業員数:73人

 

http://www.uyou.gr.jp/fms/

 

(財界ふくしま2016年2月号掲載)


区切り

2016年2月1日

初瀬電材株式会社

電設資材を通して
再生可能エネルギー社会に貢献

 

初瀬照夫 代表取締役社長

 

■引先からの信頼と従業員に支えられた90年

 

 

 

――まずは御社の沿革からお願いします。

 

 

初瀬 明治時代、安積疏水を利用した沼上発電所を建設したことに始まる郡山電気㈱で技師を務めていた初瀬七郎が、大正14年に創業して、昨年、90周年を迎えました。私で4代目になります。

 
電気の材料販売から始まり、これはいまも変わっていません。家電販売を行っていた時期もありましたが、昭和41年に商号を初瀬電材㈱とし、流通機構の改革により家電部門を分離して現在の形になりました。その後、東芝ライテック㈱の資本参加と経営指導により、現在の基盤を形成させて頂いております。例えば、かつては電気工事屋さんからの手形の貸し倒れなどがありました。昔は盆暮れ勘定だったのでしょうが、商売はお金の支払いが何よりの信用ですから、手形ジャンプなどを許さない東芝ライテックの経営指導により、粗利益を増やすことが出来ました。東芝ライテックの資本参加は昭和60年で、その3年前に私は入社していましたが、「経営内容が悪いから、お前が社長になる保証はないよ」と父に言われていましたね。実際、3代目は東芝から社長に就いてもらいました。

 
――電気工事業者への資材卸を手掛ける御社の特徴は?

 
初瀬 長い間商売をしていますから、お客様からの信用はあると思っています。私も入社して以来、長く営業を担当しておりました。お客様のもとへ幾度も訪問するのが、やはり誠意と熱意の表れだと思っています。それから、東芝ブランドでやってきたこと、資本参加してもらったことも大きいでしょう。

 
そして、お客様に恵まれているのはもちろん、従業員に恵まれていることだと思います。「プロは目標で仕事する、アマは時間で仕事する」といったプロ意識を高く持って、お客様の日ごろの様々なうれしいこと悲しいことを、お客様の気持ちになって一緒に共有することも大事ですね。

 
――取り扱われている商品は多岐にわたりますが、卸の仕事としましては、例えば同じ商品でも初瀬電材さんから買いたいと思って頂く付加価値のようなものが必要なのだろうと思うのですが、やはりそれは信頼であり従業員の営業力でしょうか。

 
初瀬 営業もそうですし、在庫という問題もあります。また、現在は営業マンに委ねている部分が大きいのですが、それをバックアップし、会社全体でもっと対応出来るようになれば、また違った展開が出来ると思っています。

 
──東日本大震災の影響はいかがですか。復旧工事に伴う資材不足などが話題となりました。

 
初瀬 復興特需はあります。ものがなかったのは初めの半年ぐらいで、我々の業界はその後、落ち着いてきたところはありましたね。震災の翌年ぐらいからは好転して、様々な補助金が出来て助けられました。

 
私にとってはそれ以上に、平成20年のリーマンショックは、事業の継続を危惧した大きな出来事で、資本主義経済では避けて通れない山と谷を身をもって経験させられましたね。リーマンショックの翌年の4、5月は売り上げが半分になりました。我々の業界は、日本経済と一緒に右肩上がりになったり、右肩下がりになったりするのです。その年は、たまたま夏が暑かったのでエアコンが売れ、そして冬が寒かった。気候変動によって助けられたんです。

 
また、深夜電力利用のオール電化、余剰電力・全量買取の太陽光発電システムなど、日本のエネルギー政策がどう変わるかで、我々の売るものが変わってくる。今後、電力自由化により昼間の需要時の電気料金の高騰対応でHEMSを利用したピーク(最大電力)カットシステムは、家庭だけではなく工場やビルにも広がっていきます。各仕入先・メーカーの皆様から時代の最先端の情報・技術・商品を提供頂き、我々が間に入って、電気工事屋さんに提案していかなくてはなりません。

 
郡山地区は産業が集中して、自動車関係の工場なども多いですから、恵まれているんです。福島県の電気工事屋さんの数も、新潟県に次いで多いんです。
景気の先を読み、みんなで知恵を出し合う

 
――景気の波を乗り切る手法は?

 
初瀬 悪くなったら悪くなったら時に考えればいいと思っています。松下幸之助も言っていたことだけれど、苦しい時はみんなで知恵を出し合うと何とか生きていける。事務所の電気をこまめに消せとか、どうしてもダメな時は給料を5㌫カットしたりね。我々の仕事の前には、設計事務所さんや設備設計さんがあるんです。そこがいまどれぐらい忙しいかによって、自分のところに1、2年後、波が来るんです。もっとその先を行けば、測量とか不動産とかかもしれませんね。数年前、公立学校施設への太陽光発電や蓄電池の導入に対して国庫補助が行われた時には、設備設計事務所が図面を作るのに大忙しでした。それが2年後ぐらいに我々のところに来るんですよ。

 
また、ライバル会社に負けないように営業していくのが大事です。その一環として、当社ではお客様93社の工事店会(初瀬東芝工事店会)を作って、交流させて頂いています。

 
――最後に、今後の抱負を。

 
初瀬 郡山には産総研という再生可能エネルギーの最先端の研究拠点がありますので、それらを利用しながら、2040年までに県内エネルギー需要の100㌫を再生可能エネルギーで生み出すという福島県の目標に向けて、再生可能エネルギー関係の商売を伸ばしていきたい。また、トヨタ自動車が2050年にはガソリンだけで走るエンジン車の販売をほぼゼロにすると発表し、いよいよ燃料電池の水素社会が見えてきました。今後もお客様との情報交換を密にし、電気をいかに効率よく使えるかなどを提案出来れば、将来性はあると思っています。

 
また、我々は電気工事屋さんのあとをついていくような部分がありますので、嫌われないように、信頼されるようにやっていけばいいと思っています。簡単に言えば、約束を守る、時間を守るですね。

(聞き手・渡辺利彦)

 

 

 

■初瀬照夫代表取締役社長略歴

 

 

昭和27年1月2日、田村市常葉町生まれ。安積高校から中央大学経済学部を卒業。東京青果㈱、高野電機商会㈱を経て、57年に同社に入社。取締役電設営業部長、代表取締役専務などを経て、平成13年から現職。郡山市内の自宅に夫人と2人暮らし。郡山市大町商店街振興組合理事長、県立聾学校児童生徒後援会長、(社福)太田福祉記念会理事、尚志学園参与などの公職も務める。趣味はゴルフ。

 

 

 

■企業 DATA

 

創業:大正14年

 

所在地:郡山市喜久田町卸一丁目45-1

 

事業内容:電気材料販売卸売業

 

資本金:2,000万円

 

年商:21億5,000万円(平成26年度)

 

従業員数:30人

 

 

 

(財界ふくしま2016年2月号掲載)

 

 

 

 

 

 


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