地域に根差した人材派遣業のパイオニア
安田敬代表取締役社長
■主婦の視線が開拓した人材派遣業
――現在の業務内容は?
安田 創業は昭和61年になりますが、前年に労働者派遣法が施行されまして、大卒女子の就職の受け皿と子育て後の女性の再就職支援を目的に私の母が会社を創業しました。現在も総合人材ビジネスとして労働者派遣業を中心に活動しています。
――昭和61年はまだバブル華やかなりしころですが、当時の業界はどのようなものだったのでしょうか。
安田 いまもそうですが人材派遣業は雇用という公共性に関連する分野なので、一番に信用を大事にやっていかなければなりません。当時も労働省から許可を頂く段階でも審査は厳しかったですし、派遣する仕事の内容についてもだいぶ規制がありました。何でも仕事を紹介してもらっては困るというので、ソフトウェアの開発や秘書などキャリアの形成につながる13業種を紹介するという狭い範囲でのスタートで、利益を生み出すことも難しかったんですよ。
ただ当時は、大卒女子の就職の受け皿が非常に少なく、地元の銀行でも短大卒以外の女子は採用していないような時代でした。福島県は優秀な人材が多いんですが、県外に進出した方から福島県に戻って来ても就職口がないと相談もたびたび受けていたんですよ。また、雇用機会均等法が改正されて間もない時期ですから、子育てが終わった方の受け皿も少なかったので、専門的な技術を持つ方の就職口を仲介することで再就職がスムーズに進み、事業としても成り立っていきましたね。
当時は人材派遣業の認知度も低く、取引先の方に説明もしなければなりませんし、私自身、労働派遣業とは何なんだろうといつも考えていました。しかし、バブル絶頂期ということもあり、圧倒的な売り手市場で「人手が足りないから人材を紹介して欲しい」と派遣の依頼はとても多かったですね。ただ、企業側とマッチングした人材を集めるのに苦労した記憶があります。それでも大卒女子や再就職をしたい女性にスポットを当てて営業展開していたので、派遣する人材には恵まれていたと思います。
また、スキルアップの面から当時主流だったワープロの教室やビジネスマナー講習なども派遣先の企業の協力を得て行っていました。創業者がもともと仙台の専業主婦から社長になったこともあり、時代を見る着眼点が良かったんでしょうね。世の中は人手不足でしたが優秀な人材を輩出出来たと思います。良い人材が集まれば、相乗効果として良い会社が受け入れ先になる。いまより仕事の数は少ないですが、当時の派遣が理想に近い形でもありますね。
■人材派遣会社バッシングを経て
――代表に就任した平成18年は人材派遣業も過去に比べて認知されてきたころですね。
安田 業界の規制緩和が始まって、新規参入が増えたころですね。人材派遣会社が取り扱う職種も過去の13業種から、禁止業務以外のすべての業務に派遣出来る形になり、昔に比べて非常に多種多様な業種に派遣出来るようになりました。
ただ、扱える業種の数が増えても当社では無理な業務の拡大をしなかったんですよ。既存の顧客の目線に立つと、業容拡大を望む声は意外と少なく、専門業務に特化した人材派遣会社が地方都市では希少価値があったので、創業以来の営業方針を支持して頂けたと思います。なので2008年のリーマンショック以降、派遣切りなど人材派遣業が社会問題化しましたが、当社ではほとんど問題になることはありませんでした。人も企業も同じ目線に立って仕事をしなければいい仕事は出来ませんからね。
――代表就任後、苦労された点は?
安田 当時は大手の派遣会社が地方都市に支店をたくさん出していまして、企業力やネームバリューの面からも競合するのはとても大変でした。同時に全国VS地方の人材派遣会社の競争なので逆にやりがいも感じていました。全国VS福島ということもあり自分の色を仕事に出しやすかったですね。例えば地方都市の人材ビジネス業の営業を他県の会社と協力して展開したり、大手の会社にはない医療・介護福祉などの労働派遣サービスに特化したりしたことが良かったのでしょうね。創業者から受け継いだ仕事に対する細やかな視線を守り続けてきたことが、現在につながっているのだと思います。
――リーマンショック当時は、世相的にも格差問題に関連して派遣が社会問題化しました。振り返ってみてどのような時期でしたか。
安田 私もショックでしたね。人材派遣会社の使命が問われる出来事でした。派遣社員は特殊な雇用形態ですから、常識をしっかり持っていた会社は大丈夫だったと思いますが、この業種にかかわる者が無理解で数の論理・利益の論理を追求すると、派遣切りなどの問題が出て来るのは目に見えてたことでしたからね。
ただ当時の世相はちょっと異常だったと思います。派遣会社だけでなく世の中全体がそうでした。人間はモノではないですから人格もありますし、品性を保てる仕事のラインもあります。いままでより低い賃金で派遣社員の割合を増やしていくのは無理がありますし、やはり利益主導でこの業界に入ってくるとそういった視線を見失ってしまうんですね。
――東日本大震災より1年が経過し、失業問題も顕在化しつつありますが、現状はいかがですか。
安田 人材派遣業は社会貢献をするビジネスだと思っていますので、1人でも多くの方に福島で仕事が出来る環境をつくらねばなりませんし、県外に転出した方にも戻って頂ける環境をつくらなければなりません。更に言えば、全国の方に一時的にでもいいので福島に来て頂くことが大事なので、人が集まる環境をつくることが人材派遣業の役割になってくると思います。復興支援として人材派遣のノウハウを生かすことが大前提ですから、いままでは国も県も短期的な支援を出してきましたが、これからは中長期的に雇用を定着させていくステップに入ります。医療関連産業や再生エネルギー産業など雇用創出を目的とした新規事業に取り組むなど、出来るところから着実に進めていきたいですね。
(聞き手・丹野 育)
安田敬代表取締役社長略歴
昭和43年5月8日、福島市生まれ。県立福島高校卒業後、アメリカ留学などを経て、平成元年に同社郡山支社に入社。18年に現職に就任し、以後「喜びのある雇用創出」をスローガンに精力的に経営戦略に乗り出す。夫人と子供2人の4人暮らし。趣味は旅行と読書。
企業DATA
設立:昭和61年7月1日
所在地:福島市三河南町1-20コラッセふくしま7F
事業内容:労働者派遣業・職業紹介業・アウトソーシング等
資本金:3,000万円
従業員:11人
(財界ふくしま2012年4月号掲載)