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あの味この味 区切り

2014年10月1日

株式会社日向

「感謝と奉仕」の精神で
セブンイレブンを多店舗

 

髙田正人代表取締役

 

■「価格」ではなく「新鮮」を売りに

 

──創業者の故・川島秀馬氏が昭和50年12月に全国59番目のセブンイレブンを郡山市田村町にオープンしたことに始まり、現在では全国に類例のない17店舗を展開しています。髙田社長が入社した経緯は?

 

髙田 私が川島の娘をもらっていることから、全国初の複数店舗経営となった2号店の矢吹店オープン(51年6月)に当たり、「手伝ってもらえないか」ということで、会社を退職して矢吹店の店長に就いたんです。

 

──電気の技術者からコンビニの店長に転身したわけですか。

 

髙田 私は計器制御の設計をしていたものですから、いらっしゃいませと言って店頭で細かい商品を売るのは、毎日が大変かなと思っていたのですが、前の会社でも毎日仕事があるのかというとないんですね。役所の水道課に計器を納めるため、毎週、役所めぐりをしたり、工場めぐりをしたりしていましたので、一度に何百万円という仕事をもらえることもありますが、仕事がない時もあるんです。それを考えると、毎日お客さんが来てくれるのはありがたいと思いましたね。

 

ただ、長時間ですから、自分一人では絶対出来ない仕事なんです。働いてくれる従業員の方を大事にしなければいけないということは感じました。まじめに働いてくれる方がいれば、店は回転していく。マニュアルがあるし、フランチャイズ契約しているから電話一本で商品を店舗に配達してもらえるコンビニは、市場や問屋に行って現金で商品を仕入れてくる一般の小売業よりは楽かなと思いましたね。売ることに専念出来る点が、画期的だったと思います。

 

──店舗運営の中で学んだことは?

 

髙田 矢吹店は私と、義理の弟である川島の長男(秀洋氏・㈱コンビボックス社長)と一緒にやっていました。後に多店舗展開の本社機能として、彼が店舗開発を、私は店舗管理を担当することになるのですが、矢吹店の時代は、2人で好き勝手にやっていましたね。どうしたら売れるか、本部の言うことばかり聞いていても正直、面白くないと。若かったですからね、こんなのを仕入れたら売れるのではないかと、常にやっていましたね。現地の豆腐屋さんから仕入れた方が、地元では名が通っているから売れるのではないかとかね。

 

──自由度はあったんですね。

 

髙田 当社の1号店は全国でもまだ59番目の店舗でしたから、当時は、こんなことしたら売れるんじゃないのかと、いろいろ試行錯誤していましたね。私も義弟も工業系だったものですから、統計学的な発想で、商人とは少し違った観点から考えていたところはありました。

 

矢吹店は昭和53、54年ごろ、クリスマスケーキの販売では全国のセブンイレブンでナンバーワンでした。予約がなくてもたくさん売るために、店頭にずらりとケーキを並べて、シャンパンを並べて、マイクでお客さんに呼び掛けるんです。矢吹店の向かいにはスーパーがありました。そちらと対抗するために、そのように大々的にやり、そして、こちらは新鮮だということを売り込むと。価格では対抗出来ませんから、奇抜なアイデアでお客さんを引き付ける、特に若いファミリー層を引き付けていくことが大事だと思っていました。

 

例えば当時、牛乳は当日製造したものを持ってきてもらい、パンも常に新鮮なものを売っていました。他店では古いものを前に出して、新しいものを後ろに置きますよね。でも、若い主婦の方は新しいものが欲しい。ですから、新しいものと古いものを一緒に並べておいて、好きなものを買っていってもらうという形にしました。古いものが残るリスクはありますが、お客様に喜んでもらうという発想ですね。そんなに気にしない男の人もいる、新鮮なものを選ぶ主婦の方もいる。「価格は安くないけど新鮮だ」ということを一番の売りにする、そうやって支持をもらうことを徹底的にやっていました。

 

■人材を大事に、地域に根付くコンビニ目指す

 

──長年の経営の中で、転機となる出来事はありますか。

 

髙田 バブルがはじけて以降、平成17、18年ごろはコンビニが飽和状態といわれた厳しい時代でした。17店舗も持っていますと、赤字のところもありますよね。どうすべきかと考え、会社の数字を透明化しました。当然、店長にも見せるし、そしてその下の社員、アルバイトにも見せるようにしました。17店舗の運転資金にはこれだけ必要だから最低でもこれだけの利益は出しましょう、そして、御輿にぶら下がらないでくれ、担いでくれと話しましたね。

 

数字が分からないと、ただのワーカーになってしまう。自分も数字を上げる一員であるという意識が大事なんです。セブンイレブンではアルバイトでも自分で発注しますし、品物の出し方もアルバイトがやる。店長任せではなくて、一緒に店舗をオペレーションしているという意識になってくると思うんです。

 

──創業者から受け継いでいる経営の理念は?

 

髙田 基本理念は「商は笑にして勝なり」「感謝と奉仕」で、川島が大事にしてきたことは、地域に貢献しなければ店は成り立たないということでした。地域に根付いて、地域の方々に支持されるためにはどうするのかを考える。何かがあれば応援することもありますし、寄付することもあります。そして、地域の方たちが働ける場を作ることも大事ではないかと。例えば、来ているお客様に「高校生のお子さんはいますか」と聞いて、いるなら「うちでバイトしませんか」と声を掛けられるようなことが一番いいのではないか。なぜかというと、近くの方だから、車で送ってくることもないし、そして、アルバイトの子も、地元では変なことは出来ないですよね。そこで根付いてネットワークが出来る、そういうことを一番大事にしてきましたね。

 

毎年夏には、社員、パートさん、アルバイト、そしてパートさんの子供さんを招待して野外研修という形でキャンプをしています。30数年続けているんです。また、2月には感謝祭としてパートさんを1泊2日で那須のホテルに招待しています。中学生以下の子供さんは一緒に来てもいい形にしています。従業員を大事する社風は、変えてはいけないと思っています。(聞き手・渡辺利彦)

 

■髙田正人代表取締役略歴

 

昭和23年1月21日、郡山市生まれ。日本大学工学部を卒業後、二宮電気通信工業㈱(現・㈱ニノテック)に勤務。前身の㈲カワシマに入社しセブンイレブン矢吹店長を務め、田村店長、本社勤務を経て、平成21年から現職。子供は2男1女、孫8人で、現在は市内の自宅に夫人、長男夫婦、孫3人の7人暮らし。趣味はゴルフ、旅行。

 

■企業 DATA

 

創業:昭和50年12月6日

 

所在地:郡山市田村町徳定字才竹16

 

事業内容:小売業(コンビニエンスストア)多店舗経営 17店舗

 

資本金:1,000万円

 

売 上:52億8,000万円(平成26年2月期)

 

従業員数:52人(準社員パート約230人)

 

(財界ふくしま2014年10月号掲載)


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