果敢な設備投資で時代を先取る
三田 計 代表取締役社長
■員の不安を取り除くことに努めた震災対応
――昭和27年に南相馬市の誘致企業第一号として操業を始めましたが、そもそも南相馬市に移られた理由は何だったのでしょうか?
三田 もともとは東京に会社を構えていたのですが、太平洋戦争の時に経営者の一族が相馬に疎開してきたんですね。そのころ、当社では相馬で採掘されていた亜炭を燃料として使っており、それが縁で避難してきたそうです。その後、終戦を迎えた時に大変お世話になったからと、恩返しの意味で初めに相馬市に工場を造り、そのあと昭和27年に原町市(現・南相馬市)の誘致企業第一号として移ってきました。
当時、この地域ではまだ養蚕が盛んでしたから蚕の下に敷く蚕座紙をはじめ、工業用の包装紙などを製造していました。その後、昭和28年ごろから徐々に段ボールの分野に転換し、現在は段ボールの元になる「段ボール原紙」、油吸着マットや耐熱・不熱シートなどの特殊紙の製造をメーンとしております。
――震災と原発事故によって3カ月にわたり操業停止が続きましたが、再開に至るまでの経緯をお聞かせください。
三田 震災直後は、地震によるマシンの軸のずれやクレーンレールの破損、地下モーターの水没といったハード面の損害に加え、当社は第一原発から約25㌔にあったため原発事故で社員全員が一時避難するなど、とても操業を続けていくことは困難な状態でした。そのため、確たる根拠はありませんでしたが親会社のレンゴー㈱とも相談し、とりあえず6月末まで工場を閉鎖することにしたんです。ただ、5月の連休明けぐらいから社員も徐々に戻って来てくれて、一つひとつ復旧作業を進めていくことが出来ました。そして6月中旬から順次操業を再開し、現在、販売量は震災前の水準にまで回復しています。
――避難した社員全員が戻ってきたそうですね。
三田 社員にはとにかく避難するよう指示したのですが、一番心配したのが彼らの給料面でした。ただ避難してくれと言っても、先立つものがなければ誰でも不安になりますよね。当時、通帳や判子がなくても銀行から10万円貸付出来る制度はあったのですが、それだけでは到底家族を養うことは出来ません。ですから、まずは取引先の銀行に、2月の明細を基に給料を支払って欲しいとお願いしたんです。あの時は会社の残高がいくらあるのかも分からない状況でしたけど、もし足りない場合は貸して欲しいと。いつ再開出来るか見通しが立たない状況でしたが、何の保証もない我々の要請を銀行の方も了解してくれて、社員全員に給料を支払うことが出来ました。当時、業界内では「丸三製紙はもうダメだ」と言われてたそうですが、社員の不安を取り除く意味では、少なくても給料をしっかり支払えたのは大きかったと思っています。
また、いまでも数人ほどいますが、当時は避難先に家族を残していた社員も多かった。そのため、東京や新潟まで帰る逆単身者の旅費費用の負担や震災別居手当の支給、放射線に対する健康診断など、社員に対するバックアップは最優先に取り組みました。
震災から4年が経ちましたが、いまだ課題はあるものの、今年3月に常磐自動車道が開通したように明るい兆しも見えつつあります。国道6号が不通になったため、いままでは関東への輸送は大きく迂回するしかありませんでしたから、運賃コストを抑えられる影響は大きいと思っています。更には人、モノの流れが活発になることは当社にとっても大きなプラスです。
■最新の設備投資は大きな決断
――今年2月、従来の6号抄紙機を更新して最新の8号抄紙機(段ボール原紙製造機)を導入しました。ふくしま産業復興企業立地補助金を活用した総額260億円もの大型の設備投資となります。
三田 これまで当社は6号、7号の2台の抄紙機で段ボール原紙を製造していましたが、6号機については20年ほど前から更新を検討していました。というのも、6号機は昭和48年から稼働していたマシンでしたので、老朽化とともに時代のニーズに合わなくなっていたんです。いま段ボールは環境の面から省エネ、省資源が求められていますが、6号機で薄物化、軽量化をすると生産性が悪く、この状態を続けては将来的にいずれ立ち行かなくなることは自明でした。
段ボールの紙は用途によって厚みは違うのですが、これまで6号機は1平方㌔㍍当たり160㌘が限度で、今度の8号機では120㌘から対応出来るようになり、更なる品質向上とともに徹底した省エネ、省資源化が図ることが出来ます。
また、南相馬市では撤退を余儀なくされた企業も多いのですが、その中で大型の設備投資をして安定的な雇用を生んでいくことは、復興に向かう南相馬を支える意味でも大きな意義があると思っています。
――今後の展望をお聞かせください。
三田 国内の段ボール及び段ボール原紙の需要は、わずかながら伸びています。製紙には、用紙や新聞紙などの〝かみ〟と我々が製造している段ボールの〝がみ〟の2種類あるんですね。
ネットなどの影響で紙の需要は下がっている一方で、モノが動けば必然的に需要が生まれる段ボールは堅調に推移してます。段ボールの用途別に見ると60㌫弱が食料品の輸送に使われており、人間が食べる量はそうそう減ることはないですから割と需要は安定的で、最近では通販関係が一番の伸び率を見せていますね。
当社は業界内では中クラスに位置するものの、規模からいえば大手との差は歴然としています。そういったところと同じ土俵で価格競争をするわけですから、あとは品質、サービスの面を生かさなければ到底太刀打ち出来ません。今回の設備投資は、会社の売り上げから見たら相当な額に上り、大変な決断となりましたが、時代の先に行くためにも必要不可欠なことでした。今後も日々変化する時代の流れに対応し、産業と雇用を守り地域社会に貢献していきたいと考えています。(聞き手・斎藤 翔)
■三田 計代表取締役社長略歴
昭和27年12月1日、相馬市生まれ。相馬高校を卒業後、46年に入社。仙台営業所長、総務担当部長、専務取締役管理本部長などを経て、平成25年6月に現職に就任した。現在、相馬市で夫人、父と3人暮らし。趣味はゴルフ。
■企業 DATA
創業:大正12年
所在地:南相馬市原町区青葉町1丁目12‐1
事業内容:板紙(段ボール原紙)・特殊紙(機能紙)の 製造・加工・販売の製造、加工、販売
売上高:130億円(平成26年3月期)
従業員:207人
http://www.marusan-paper.co.jp/
(財界ふくしま2015年5月号掲載)