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あの味この味 区切り

2015年12月1日

共同印刷株式会社

震災と原発事故を乗り越える
帳票印刷のエキスパート

 

 

鈴木充男 代表取締役

 

 

■得意分野の伝票で全国から依頼を受ける

 

──現在、本社機能を郡山工場に置く御社の業務規模を伺います。

 

鈴木 南相馬市といわき市に営業所がある当社は、印刷類の中でも伝票などの帳票類を得意としており、主に日本全国の同業者から依頼を受けています。印刷類の中でも帳票類は複雑で、あまり印刷業者は手を出さないジャンルのため、当社が一手に引き受け、設備投資や人の増員、工場の拡大を行い、平成16年からいまの会社の業態を構築しました。

 

──帳票類の過程が複雑なのはどのような点でしょうか?

 

鈴木 印刷の段階まではほかの印刷会社でも機械があるので可能ですが、印刷後にナンバリングやミシン線、複写を合わせて重ねていく丁合、背固め、針金綴じ、クロス巻き、穴あけ、包装と様々な加工の工程を行わなければならず、人手を必要とします。更には、消耗品ですので、使用する側は安価であることが求められ、付加価値が低いわけですが、私たちはあえてそれを選びました。

 

──同業者も手を出さない帳票印刷を選ばれた理由は?

 

鈴木 当社は昭和61年に大熊町で共同出資で創業し、当時から伝票に特化していました。しかし、当時はバブル経済の真っ只中で、意図していた伝票よりもチラシが増え、6割がチラシで4割が伝票でした。創業から10年は業績も上がっていきましたが、バブル崩壊や消費税の導入、労働時間の短縮などの影響で8年間は業績も下がっていき、平成15年には倒産の危機にまで追い込まれました。そこで、もともと得意分野であった伝票に特化して、16年から東京に打って出ました。東京に注目したのは、当時、全国における年間の紙の出荷量(使用量)を目にした際、約50㌫が東京で、関東圏が約65㌫でしたが、福島県の出荷量は明記されておらず、東北6県で一括りとされ、わずか2㌫(うち1㌫が宮城県)しかなかったのです。それを知った時は、当社が置かれた市場の狭さに愕然としました。それで、東京の印刷業者にダイレクトメールを送って営業を掛けたところ、依頼が増え、次に関東圏、更には全国へと広げていき、現在は北海道から九州まで依頼を受けており、約500件のお客様がおります。
 

 

それだけ、完成までの工程が多くても、どこにも負けない高品質と速さを売りにしています。注文が入って、ほぼ中三日で発送しており、この点は、設備、人、技術、スペースがなくては真似が出来ません。

 

──現在も大熊町は、原発事故により避難指示区域となっていますが、震災の影響は?

 

鈴木 私は三重県に避難をしていたのですが、お客様から「何とか再開してくれないか」と熱烈なラブコールを頂き、避難して散り散りになっていた社員からも「もう一度始めましょう」と言ってもらえ、それらを力に平成23年5月に郡山市で事務所を借りて再開に向けた準備を進め、9月に再開を果たすことが出来ました。従業員は震災前の60人から半数の30人が戻ってきてくれました。また、お客様も震災前の5割が戻ってきて頂きました。

 

──震災直後の状況についてお聞かせください。

 

鈴木 当時は取引先に迷惑が掛かるため、大手の印刷会社に引き継いでもらおうと考えていました。震災直後は、日増しに状況が悪くなる中で、税理士からは社員が失業保険がもらえるように従業員全員を解雇して休業届を出すようにとの連絡があり、その手続きをしたのです。そのため、事業再開は全く考えておらず、自分の職探しを始めていたのですが、その時に、前述したお客様から再開を要望する連絡を頂いたわけです。

 

震災から3週間後に従業員全員と連絡を取ることが出来、その時から毎日メールを送り、私の近況や社員とのメールのやり取りの中で得た情報の共有などを行いました。

 

その後、大熊町の本社から経理のパソコンを持ち出し、3月10日までの請求書とともに、会社の状況と出来るだけ早く振り込んで頂けるように記入したあいさつ文も一緒に送り、また、手形の買い戻しなどをして会社のお金を集めました。

 

──9月1日に郡山市で再スタートを果たされた当時の思いはいかがでしたか?

 

鈴木 事業再開が出来た喜びと同時に会社に戻れなかった元の従業員は事業を再開したことで正式に解雇となってしまいましたので、複雑な気持ちでした。9月1日の朝礼では、「(今回の震災と原発事故で)死んでもおかしくないような体験をしたわけだから、今後は有意義な人生にしていこう」と話し、再開と同時に週休2日にしましたが、意外と生産性は落ちませんでした。

 

■製本工場の増設で新規マーケットを拡大

 

──現在の郡山工場は平成25年6月に完成されたそうですね。

 

鈴木 ふくしま産業復興企業立地補助金を活用し、土地については銀行さんから現在の場所を紹介して頂き、タイミング良く現在の郡山工場を建設出来ました。また、今年1月には同敷地内に第2工場も増築し、震災以前に早く戻すために製本工場とすることで、伝票だけではないマーケットを広げました。

 

──社内環境整備への取り組みについては?

 

鈴木 クリナップ委員会というのがあるのですが、午後1時からの10分間、音楽を流して掃除し、環境を清潔に保つことで、品質の向上にもつなげたいと考えています。また、広報委員会や改善提案委員会なども設けて、活発に取り組むことは、他社から見ても特異に映るのではないでしょうか。

 

──今後の展望について伺います。

 

鈴木 業績はまだまだ黒字まで回復していませんので、黒字経営にすることが当面の目標です。

 

また、会社を印刷学校にしたいと考えています。同業者でも印刷について知らないことも多いと思いますので、当社がモデル会社となって、他社の従業員を預かって、印刷にかかわるノウハウを積んで頂けるような、学校的な役割を仕事を通しながら担いたいと考えており、業界レベルの向上にもつながればと思います。(聞き手・作間信裕)

 

■鈴木充男代表取締役略歴

 

昭和29年6月6日、南相馬市小高区生まれ。原町高校から東北学院大学法学部を卒業後、仙台の印刷機材販売会社に営業として入社。その後、地元の印刷会社に営業として入社。61年10月1日に共同出資で大熊町に同社を設立し、代表取締役に就任した。現在は、郡山市内で夫人、娘と3人暮らし。趣味は読書。

 

 

■企業 DATA

 

設立:昭和61年10月1日

 

所在地:(郡山工場)郡山市日和田町字南原2-5

 

事業内容:印刷業

 

資本金:1,600万円

 

従業員数:49人

 

http://0240.jp/kyodo/

 

(財界ふくしま2015年12月号掲載)


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