折込広告を軸に
多様な販促提案が出来る会社に
大川原順一代表取締役社長
■3つの「つなぐ」をコンセプトに
──今年7月1日に㈱福島県折込広告社から㈱ケンオリに社名を変更されました。この社名変更に込めた思いは?
大川原 折込広告業というのはニッチ産業でしたから、昭和51年の創業当初は「折込広告会社って何なの?」といった存在でした。当社が取り扱う商品も、当初は折込広告単品でしたので、「福島県」という地名と「折込広告」という商品名を、そのまま会社名としてきました。
創業から来年で40年を迎えますが、時代とともに当社の組織も変化してきています。折込広告がいまでも中心であることは間違いないのですが、コンビニでの新聞即売事業や、業務管理システムなどのシステム開発事業も展開しています。合わせて、折込広告を扱っていく中で印刷にも詳しくなりますので、グループ会社に福島カラー印刷㈱もありますが、印刷にもかかわるようになりました。更に、お客様から販促のための提案もいろいろと求められるようになり、また仙台に営業所もある中で、業務を展開するに当たり「福島」「折込広告」という社名が重しになって、窮屈になってきたところがあると感じていました。
──セールスプロモーション・エージェンシーを目指すと掲げられていますね。
大川原 新聞の普及率がどんどん落ちていく中で、折込広告に到達しない世帯が増えていくわけですから、黙っていると折込広告はどんどんなくなっていってしまうのではないかという危惧があります。特に我々の業界は、スーパーやホームセンターなど流通関係の顧客が多いですから、いまも折込広告は一番効果がありますが、新聞を購読していない方への対策もお客さんから求められています。
当社は折込広告を扱い、お客様の販促をお手伝いするプロの集団として、お客様の情報が折込広告で到達しないところに対しても、きちんと伝えていく仕事をしなければ、折込広告の販促ツールとしての価値も守れないと思います。時代の大きな変化の中で、当然、Webの世界にも足を踏み入れなければなりません。お客様の販促の全般的なお手伝いを出来るような会社に変わっていくために、社名を変えようと決断しました。40年間、この屋号で仕事をしてきましたから、もちろん不安もあったのですが、当社は新聞業界とともに歩んできた会社でもありますし、折込広告はそれを実際に担ってきた新聞販売店さんの収入源でもありますので、この業界で生きてきた者として、折込広告を守るとともに、会社がこれから10年、20年と生きていくために、新聞を取らない世帯に対してもきちんと情報を伝えていくことを、今後商品として成り立たせるような仕事をしていかなければならないと思っています。
当社の立ち位置として、「クライアントと生活者をつなぐ」「クライアントと地域をつなぐ」「クライアントとクライアントをつなぐ」という3つの「つなぐ」をコンセプトに掲げました。
──社長ご自身も創業初期のメンバーとのことですが、どのようなスタートだったのでしょうか。
大川原 私は昭和52年12月に入社しました。資本金3000万円の有限会社でスタートした会社なのですが、入社して4、5年後ぐらいでしょうかね、ものすごい勢いでマーケットが成長していきました。当時は夜中11時や12時ぐらいまで荷物を積んで、次の日2時か3時ぐらいに起きて、福島県内をトラックで配送して、朝方帰ってきて、また荷詰めをしてというぐらい無我夢中で働いていましたね。
■大震災で実感した折込広告の力
──当時は折込広告を新聞販売店に届けるシステムが確立されていなかったわけですね。
大川原 郡山の場合ですと、広告代理店の事務所の前にチラシを積んでおいて、新聞販売店が受け取りに行ったり、印刷会社が独自にトラックを準備して刷り上がったものを新聞販売店に届けるといった形だったんです。
その後、なぜ折込広告が増えたかというと、大手チェーンのダイエーさんやイトーヨーカドーさん、ヨークベニマルさんなど、全国展開をする時に、制作物は東京で印刷されるわけですが、東京の同業者が一括受注し、全国に流通のルートが出来上がっていれば、全国で折込が可能なんですね。新聞販売店にとっても、馬鹿に出来ない収入になってきましたので、特に地方の場合は、地方紙の新聞社が折込センターというものを設立して、自系統の新聞販売店に折込を持っていける体制を作り、ナショナルクライアントに応えられる形が整っていったんです。
当社の設立のきっかけは、うすい百貨店さんにあるんです。当時、うすい百貨店さんは週に3本のチラシを折り込んでいたのですが、北は安達町、南は塙町や茨城県境、東は小野町、西は猪苗代町までと非常に広範囲を商圏に設定していましたので、販促の中心である折込の手配に大変な思いをしていたそうなんです。当時の販促の責任者と、郡山の毎日民報の販売店とがたまたま知り合いで、こういう折込をきちんと管理して手配出来る会社があると非常に助かるという相談が持ち掛けられ、郡山と須賀川の販売店3店で共同出資をして当社が設立されたんです。
──折込広告の価値と信頼性を築き上げて現在があるわけですが、転機となった出来事はございますか。
大川原 やはり東日本大震災の時には、会社をたたまなければならないのかという危機感を持ちました。しかし、特にヨークベニマルさんが震災翌月の4月1日に折込広告を再開した時に、折込の力を感じました。ベニマルさんが出稿することで、一般家庭はもちろん、避難所などでも「普通の生活が戻ってくるんだ」という安心感を持って頂くことが出来たのではないかと思うんです。それだけ新聞も折込広告も日常生活の一部として受け入れられているんだと感じることが出来、自分たちがやってきた仕事に自信を持つことが出来ました。そして、社員の結束力も強くなったと感じましたね。(聞き手・渡辺利彦)
■大川原順一代表取締役社長略歴
和25年9月29日、いわき市生まれ。安積高校から成蹊大学を卒業。福島県南酒販㈱勤務を経て、52年に㈱福島県折込広告社に入社。取締役営業部長から平成3年に常務取締役、10年に代表取締役専務、12年から現職。公職では福島県中小企業家同友会の常任理事や郡山地区会長を歴任した。
■企業 DATA
創業:昭和51年6月
所在地:郡山市田村町上行合字北川田26-3
事業内容:新聞折込広告、新聞即売、システムソリューション、マスメディア取り扱い
資本金:9,000万円
年商:100億1,000万円(平成26年度)
従業員:55人
http://kenori.com/
(財界ふくしま2015年10月号掲載)