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あの味この味 区切り

2012年8月1日

株式会社丸福織物

どん底から這い上がった不屈の経営学

 

斎藤義博代表取締役社長

 

■製造業から販売業への転化

 

 

――現在の事業内容についてご説明お願いします。

 

斎藤 福島市松川町で呉服卸売を中心に事業を展開しています。呉服卸売のほかにも和風レストラン「絹の里」や写真スタジオ「さくら」、バウムラボ「樹楽里」など様々な業種を展開しています。

 

もともと江戸時代から造り酒屋を営んでいたのですが、明治の松川大火によって焼失してしまい、養蚕業の流行などもあって明治24年に機屋として創業しました。現在の会社は昭和27年に父の斎藤義雄が㈲斎藤機業場として創設しました。今年で会社設立60周年になります。

 

――昭和46年に入社されていますが、当時はどのような状態だったのでしょうか。

 

斎藤 先日の60周年のあいさつでも話したことなんですが、 私が高校3年生の時に家に帰ってきたら、家の何もかもに赤札が貼ってあったんですよ。父の友人の土建屋が潰れて連帯保証人になっていたんですね。当時で620万円の負債ですからね。46年に現在の丸福織物に称号を変更し、群馬から帰ってきたばかりの21歳で専務取締役として経営に当たりましたが、当時の会社の状態は本当に厳しかったですよ。

 

――会社の業績が好転した理由は?

 

斎藤 私は会社に入る前に機屋の修業として裏衣の問屋で織物の勉強をしていたのですが、そこで問屋の営業力の強みを知りました。製造だけの機屋と販売・卸にかかわる問屋では事業に大きな格差があったんですね。販売を強化しなければこの先は生き残れないと感じ、会社に戻った時に2次産業から3次産業への転換を図りました。

 

会社に入社してすぐ、賃機から生糸を自分で買う自由売買に改めさせ、同時に自分たちで作ったものを加工して直接呉服屋に売り出しました。問屋の仲介がない形での商売ですから、同業他社の反発や問屋から締め出しをくらうなど苦労もありましたね。ただ自分たちで呉服屋に商品を販売するうちに営業力が向上し、昭和52年には借金を完済出来まして、その後、店舗の増築や工場の増設などにつながっています。

 

――業務改革の成果もあり業績は向上し、平成に入ってからは小売業や外食産業にも進出します。

 

斎藤 当時の事業は機屋にしても繊維卸にしてもみんな「糸偏」つながりの業種ですから、80年代に入った国際化の時代にこの業種だけ続いていけるのかと思っていました。売り上げも伸びて力も付いてきましたから、ほかの商売も始めようと昭和62年、松川町下川崎に1900坪の土地を取得しました。

 

――平成2年にニコマートや絹の里を開業しますが、別業種への不安などはありませんでしたか。

 

斎藤 不安は考えませんでしたね。私は一度泥水を啜って這い上がってきた人間ですし、将来的には衣食住・遊すべて出来る業種をやろうと思っていましたからね。ニコマートはその後、フランチャイズの本部が倒産したこともあり撤退しましたが、現在、その土地にはバウムラボが営業を展開しています。

 

――絹の里は今年で22周年となり、地域から親しまれています。

 

斎藤 絹の里を始めるに当たり、郡山のレストラン「竜宮城」の専務から宴会場を造らなければならないと助言を頂いたんですね。一般客だけではなく全体を想像しながら経営をしていかないと外食は続けられないということでした。これは大きなアドバイスでしたね。平成2年に建物も含めて2億7000万円を投資して造りましたが大きな決断でした。

 

■危機を転じて好機とする

 

――平成11年には現職に就任しています。

 

斎藤 もともと専務時代から実務全般は私が預かっていたこともあり、父が健在のうちは社長になるつもりはありませんでした。ただ父の年齢や本人からの勧めもあり社長に就任することになりました。就任後の平成14年には「美ふくきもの学苑」を開設しています。着物を売るだけではなく、日本の伝統文化を守るためには、着付けなどの伝統技術を後進に伝えなければなりません。一部の高度な専門技術は有償になりますが、ほとんど無償で着付けの指導を行っており、生徒は1000人以上が卒業し、現在でも100人以上の生徒が在籍しています。今度、中学校の授業課程に着付けが入りましたが、学苑で指導を担当することになっていますよ。温故知新ではないですが、昔からの良いものを残していかないと、国際化の波で日本の伝統は失われていくのではないかと懸念しています。

 

また平成22年には樹楽里でバウムクーヘンの販売を始めました。現在、福島県で1次・2次・3次の相乗効果による地域の強みや潜在力を生かした地域内発型の発展する6次化を打ち出しています。地元で出来たものを地元の人に消費するシステムを構築出来れば雇用の拡大にもつながります。私はこの考えに賛成なんですが、これを聞いた時に、自分に何が出来るだろうと考え、それで出来たのが樹楽里なんですよ。米粉100㌫のバウムクーヘンを特色に販売を始めました。当初は米粉が重過ぎてうまく商品が出来なかったり苦労もありましたが、現在は好評を頂いています。

 

――今後の展望などは?

 

斎藤 今年の4月に賃金体系や就業規則を見直しましました。なぜこんな時期に変えるのかという声もありましたが、震災を経験したいまだからこそ、やればやった分だけお金を出せる会社にしたいんです。会社は社長の力が強いものだと思われるかもしれませんが、一番重要なのは社員のやる気なんですね。今回の就業規則の改正は社員が一生懸命仕事に打ち込めることを目的としています。働いたら働いた分だけ認められるような企業経営をしなければいけないと思っています。今回、就業規則の改定の中で65歳まで定年を延ばしました。批判もありますが、日本ならではの終身雇用もいいものなんですよ。なぜなら雇用された人はその地域に生きていくわけですからね。この地域でみんなで手を組んで生きていけるような体制をつくることが、いまの時代の流れだと思っています。  

 

  (聞き手・丹野 育)

 

斎藤義博代表取締役社長略歴

 

昭和25年7月18日、福島市生まれ。県立福島商業高校卒業後、群馬県の㈲丸共織物工場勤務を経て、46年に父の経営する同社に入社。同年6月、専務取締役に就任し、平成11年に現職に就任。現職のほか、㈳福島法人会副会長、福島県織物同業会理事、松川町商工会理事を務める。

 

企業 DATA
設立:昭和27年6月10日
所在地:福島市松川町下川崎字西原25-4
事業内容:着物卸・外食事業・小売業
資本金:1,000万円
従業員:53人

 

 (財界ふくしま2012年8月号掲載)


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