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あの味この味 区切り

2015年8月1日

開当男山酒造

新たなチャレンジを続け
次の世代に歴史をつなぐ

 

渡部謙一蔵元

 

■客の好みに応える豊富な品ぞろえ

 

──会社の創業からお聞かせください。

 

渡部 創業は享保元年の1716年で、渡部家の3代目が酒屋を始めました。私で17代目になり、蔵元としては14代目になります。会社組織を採らずに、私個人として酒蔵の経営をしていまして、来年で創業300周年になります。蔵には天保年代の文字が多く残っていまして、その当時の3代目蔵元が、酒屋として男山酒造を大きく発展させ、確立していったようです。

 

──主要銘柄の開当男山の名前の由来は何でしょうか。

 

渡部 酒蔵を開いた初代の名前が、渡部開当といいまして、その名を銘柄に使っています。男山というのは代表銘柄の名前で、商標登録がなかった時代には、普通酒の「男山」と上級酒の「開当」の2種類を製造していたのですが、商標登録する際に、「開当男山」の名前に統一して登録しました。

 

──男山酒造の特徴をお聞かせください。

 

渡部 私の蔵では、食事や会話の邪魔をせずにさらりと飲んで頂ける酒を目標に製造しています。この地域の寒さを生かして低温でゆっくり発酵させるので、甘味や苦味が強過ぎない優しい味の酒になっていると思います。また、お客様の好みが多様化してきているので、いろいろな酒を選びながら飲んで頂けるように、種類を多くそろえているのも特徴ですね。現在は約120種類のアイテムをそろえています。

 

また、私の蔵では、レスリングの選手が3人働いているんです。13代目の父・渡部善一が、福島県のレスリング協会の会長を長くやっていた関係で、この町はレスリングが盛んな地域なんです。その縁で、働きながらレスリングを続けたい選手の受け皿になれればと思い、私の蔵で働いてもらっています。酒造りは地味な作業を黙々とやっていく仕事で、やればやった分だけ酒の品質に結果として出てくるので、スポーツ選手の気質には合っているのではないかと思っています。

 

売り上げの部分では、南会津郡内での売り上げが全体の6割を占めていて、県内全域だと7割ほどになり、地元の人によく飲んで頂いています。残りの3割のうち2割は栃木県、茨城県などの北関東、特に栃木県が多いですね。栃木県は大きな商圏でして、ある意味第2の地元のようになっています。

 

──アイテムを120種類もそろえている理由は何でしょうか。

 

渡部 先代のころからの考えで、いろいろな切り口でお客様に酒を提案していくことが必要だと考えていまして、メーンの酒を絞り込んで売り出すのも一つの販売戦略だと思いますが、やはり同じ酒ばかり飲んでいると、お客様の舌が飽きてしまうと思うんです。季節限定の商品だったり、外装が華やかな酒など、それぞれお客様のニーズに対応して、たくさんの酒の種類の中から男山の酒を選んで頂けるように、アイテムを多くそろえています。いろいろな酒を造ることで、男山にはこんな酒もありますと提案出来るので、ほかの酒にお客様が流れることを防げると思っています。

 

■次の世代に酒造りの魅力を発信していく

 

──300年にわたる男山酒造の歴史の中で、転機になった出来事は何でしょうか。

 

渡部 11代目の曾祖父の時代に、栃木県の塩原温泉から西那須まで市場を広げていたそうなのですが、より栃木県の市場を拡大するために同県の矢板市に蔵を新しく造り、移転しようと計画していたそうです。ところが、計画の最中、戦争で11代目が35歳の若さで亡くなってしまい、計画は流れて、この町に留まることになりました。結果的に、今日につながる一つのポイントになっていると思います。

 

そして、次の12代目も、第2次世界大戦のシベリア抑留で亡くなってしまったのですが、その後は曾祖母と祖母が12代目の代わりに、戦時下の厳しい時代に蔵を守り抜き、酒造りを続けていたそうです。蔵元がいなくなった厳しい時代に女性が蔵を守ってくれていたことも、一つのポイントになると思います。

 

──これからの酒造業の展望についてお聞かせください。

 

渡部 福島県の酒造業界としては、今年の全国新酒鑑評会で福島県の酒蔵が3年連続日本一になりました。同業者として、とても励みになりますし、もっとおいしい酒を造りたいと思いました。しかし、酒蔵業界全体を見ますと、ずっと酒蔵の淘汰が続いており、私が蔵に戻ってきた27年前は、全国に約2500軒ほど酒蔵があったのですが、いまは約1500軒ほどに減ってしまいました。減少の理由として、資金的な問題や後継者問題など、いろいろな理由があると思いますが、いまはどうやって生き残っていくか、競争の時代になっていると思います。

 

私は生き残っていくためには、次の若い世代に酒造りはやりがいのある仕事だという姿を見せることが必要だと思っています。酒造りの面白さを若い世代にも発信して、将来酒造りをやってみたいと思う若者を増やすことで、生き残っていけると思っています。酒造りに限らず、何かを造る仕事は、ものを造る楽しさ、魅力があると思うんです。蔵人には、アイデアを考えたり、酒造りを楽しみながら取り組んでもらって、その姿に若い世代が魅力を感じて、自分も酒造りをやりたいと思ってもらえたらいいですね。

 

──男山酒造としての今後の展望についてお聞かせください。

 

渡部 私は1年に1つ新しいことにチャレンジしようと思っていまして、その結果として、アイテムが増えていきました。蔵で造れる酒の量は限られていますが、日本酒のカテゴリーの中で、切り口はいろいろありますし、米と水を使って造る点は変わらないので、新しい考え方、やり方を試しながら取り組んでいます。また、いろいろな考え方、やり方を試すことで、造り手にも刺激になり、やる気にもつながると思います。日本酒には可能性がまだまだあると思っているので、これからも新しいやり方、考え方を試して、新しい酒を造っていこうと思っています。

(聞き手・穴澤大輔)

 

 

■渡部謙一蔵元略歴
昭和40年6月2日、南会津郡南会津町生まれ。栃木県立宇都宮東高校から東京農業大学醸造学科卒業。卒業後、東京の酒問屋で修業し、平成元年に帰郷。平成16年から蔵元。公職として南会津町教育委員、県酒造組合副会長を務めている。家族は、夫人と2男2女、母。

 

 

■企業 DATA

 

創業:1716年(享保元年)

 

所在地:南会津郡南会津町中荒井久宝居785

 

事業内容:酒造業

 

資本金:1億5000万円

 

従業員:7人

 

http://otokoyama.jp/

 

 

(財界ふくしま2015年8月号掲載)

 

 


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