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あの味この味 区切り

2015年7月6日

合資会社辰泉酒造

昔ながらの製法を徹底し
日本酒を世界へ発信

 

新城壯一代表

 

■幻の米を使った酒造り

──まず会社設立の経緯からお聞かせください。

 

新城 もともと会津若松市内で本家の新城家が酒造業をしており、初代の新城龍三は長男ではなかったため、明治10年に本家から分離独立して、酒造業を始めました。当時、この辺は博労町通りと呼ばれていたのですが、商人が多く住むマチだったので、蔵が多くあり、その蔵を酒蔵にし、始まりました。

 

──会社の特色をお聞かせください。

 

新城 創業当時から、規模はそれほど大きくない蔵で製造しており、現在は、「京の華」という会津の米を使った酒をメーンに製造しています。大量生産、大量出荷ではなく、1本1本を丁寧に少しずつ、なるべく人間の手で良い酒を造っていく方針で、取り組んでいます。

 

──「京の華」を原材料に使っている酒を造った経緯をお聞かせください。

 

新城 まず、「京の華」とは、酒造好適米なのですが、もともと山形県の庄内地方で作られていた品種です。昭和の初めごろ、会津に渡って来て、会津の土地にすごく合っていたようで、それから広く作られるようになりました。「京の華」が作られたことで、会津の酒の品質向上に貢献したそうです。ただ、「京の華」は、稲の丈が高く、倒れやすいという弱点があり、非常に収穫量も少なかったので、徐々に作られなくなっていったんです。更に追い打ちをかけるように、第2次世界大戦と時期が重なり、戦時中には作られなくなってしまいました。終戦後に1度は復活したものの、それは会津独自で選別された会津産の「京の華」でした。会津の農林試験場の分所で、粒が大きく、心白という良質のでんぷんの部分が大きい米を選別したもので、戦後、酒米として「京の華1号」という名前で県の登録品種になりました。しかし、収穫量が少ないということで、徐々に生産が減り、昭和30年ごろには登録品種からも外され、作られなくなりました。そのため、幻の米と呼ばれるようになったんです。

 

私の父は、会津若松市内の工業試験場の場長として酒造りの研究、指導を行っていて、「京の華」に関しての知識があったので、父が退職して蔵に戻り、もう一度会津の酒の原点の「京の華」を使った酒を造ろうと幻の米の復活を目指しました。まず、「京の華」の種籾を探したところ、県の農業試験場に残っていて、昭和58年ごろに種籾を分けてもらい、知り合いの農家の方に栽培をしてもらいました。そして、昭和60年に「純米大吟醸 京の華」というお酒を造り、ようやく発売に至ったんです。

 

■全国屈指の福島の酒

 

──酒造業界の現状については、どう思われますか?

 

新城 日本酒の消費量は日本全体で見ても毎年低下していて、県内の統計でも出荷量は毎年、減少傾向にあります。非常に厳しい状況にあるとは思いますが、震災後、東北の復興を支援しようということで、東北の酒を全国の皆さんに飲んで頂く機会が増え、それがきっかけの一つとなり、福島県の酒がおいしいということを、県内だけでなく、首都圏や全国の人々に認知されてきていると思います。特に震災後は、県内外の人々に福島県の酒造業界を助けて頂いていると感じます。

 

いま会津も含め福島の酒は、全国的に見ても、すごくレベルが上がっています。全国新酒鑑評会では、3年連続で県別のトップになり、今年は金賞も24銘柄とダントツに多く、酒造業界の皆さんは、よりおいしいものを造らないければという意識が高まっており、私も刺激を受けています。若い後継者も戻ってきていますので、酒造業界は、今後、活性化していくと思います。

 

──震災の影響はいかがですか?

 

新城 震災直後は流通が麻痺して出荷も出来ない状態でした。震災から半年ほどが経ち、県外の方から被災地の酒をたくさん購入することで、復興を支援しようとする流れが出来、震災からの2年間は、たくさんのご注文を頂きました。むしろ問題は、復興支援として購入頂いている量が落ち着いたこれからですね。ここ数年で頑張らないと、せっかく福島の酒をおいしいと思って頂いた方に、福島の酒の味を忘れられてしまうという危機感を持って取り組んでいます。幸い日本酒は首都圏でも注目されていて、そういった経験を生かして、今後は首都圏への出荷も増やしていきたいです。

 

──新城代長は杜氏もされていますが、杜氏との両立で苦労されたことはございますか?

 

新城 4年前から私と地元の蔵人で製造しています。酒を仕込むのは冬の寒い時期で、土造の蔵に雪が積もり、蔵がかまくらのようになることで、蔵の中の室温が4度と発酵に適した一定の温度になるんです。また日本酒は製造工程が複雑で、造ったあとにも貯蔵出荷管理がすごく大事で、酒にとって最適なタイミングで市場に出さないと、目的とした酒質と違ってしまうので、非常に細かく気を遣う作業の連続です。プレッシャーもありますが、非常にやりがいのある仕事で、目的の酒質のお酒が出来ると、すごく手応えを感じます。それは製造に携わる人間だからこそ感じられるのだと思うんです。経営をやりながら製造もやるというのは、体力的にも精神的にも非常に難しいですが、やってみて初めて分かる面白さがあり、やっていて良かったと思えます。

 

──今後の展望については?

 

新城 いまの酒造りの規模を変えずに、これからも製造し続けたいと思っています。また、せっかく会津で酒造りをさせてもらっているのですから、会津の土地に根差していきたいですね。会津にはたくさんの酒蔵があり、個性が強く、皆さん工夫してより良いものを作ろうと取り組まれているので、そういったこともどんどん県外や首都圏、海外へとアピールしていきたいです。福島県は原発事故で有名になってしまい、いろいろと大変ですが、逆に世界の人が福島では良い酒を造っていることが分かれば、直接来てもらえると思うんです。世界中の酒好きが会津に集まるというのが、私の目標というか、夢みたいなものですね。(聞き手・穴澤大輔)

 

 

 

■新城壯一代表略歴

昭和39年12月14日、会津若松市生まれ。東京理科大学理工学部を卒業後、㈱ケンウッドに入社。その後、平成15年、同社に入社。20年に常務に就任し、23年に現職に就いた。現在は会津若松市内で夫人と2人暮らし。趣味は、読書と旅行。

 

 

 

■企業 DATA

 

創業:明治10年

 

所在地:会津若松市上町5-26

 

事業内容:酒造業

 

資本金:500万円

 

従業員:3人

 

http://www.tatsuizumi.co.jp/

 

(財界ふくしま2015年7月号掲載)

 

 

 

 


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